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道しるべ  165 用心の勧め


 しばらくうっぷんが溜まっていたためか、珍しくイアンは手加減を忘れた。 テルフォードは一発で脳震盪を起こして気絶し、イアンの拳の関節も切れて血が滲んだ。
 ジョニーはイアンに寄り添い、地面に伸びている男を見下ろした。
「嫌な人ね。 あなたの悪口を言えば私の気持ちが変わるとでも思ったのかしら」
「おれの腕力を低く見ていたのは確かだな」
 イアンは既に冷静になっていて、苦笑いで答えた。 ジョニーは彼の手を引いて言った。
「放っておきましょう。 誰かが見つけるわ。 私たちのこと話してしまったから、あっという間に噂が広がるでしょう。 まだ静かな今のうちに、二人で楽しく過ごしたいわ」
「そうだな。 こう弱くちゃ相手にもならない」
 はっきり言い捨てると、イアンはジョニーの手を取り、大胆な気持ちになって厩〔うまや〕に向かった。


 雨に一時の勢いはなかったものの、まだ相当激しく降り続いていた。 だが二人は顔に当たる雨粒をものともせず、馬を並べて荘園へと急いだ。
 到着したときには、どちらも着衣のまま水浴びしたような状態になっていた。 それでも二人の気分は高揚していた。 扉を叩いて門番を呼び、開けてもらうとすぐ馬を彼に任せて、手を取り合って玄関に駆け込んだ。
 騒がしい気配に、家令のガレスだけでなく奥の部屋でくつろいでいたトムまで出てきた。
「どうした? 今日は帰りが遅くなると思ったが」
「もう社交はたくさんだ。 隠し事もうんざりだ。 男爵のテルフォードが嫌がらせをするから、ジョニーが婚約をばらしてやった。 これで領主様が何を言おうが知ったことか」
 トムはジョニーに笑顔を向けてから柱に寄りかかり、イアンに眉を上げてみせた。
「今日は荒れてるな。 天気と同じだ」
 イアンはにやりと笑って、大きく腕を上げて伸びをした。
「荒れてるんじゃない。 振っ切ったんだ。 おれはこの土地で、気心の知れた人たちと暮らす。 それが望みなんだから、領主様は仕方がないにしても、他の貴族にぺこぺこして下らない遊びに付き合うのはもう止めにする」
 トムはにやにやしながら小さく首を振った。
「そううまく行くかな。 おまえが騎士に昇格してまとめ役になってから、館での小競り合いがほとんどなくなったと聞いたぞ。 おかげでヴィクターはますます人気が落ちて、焦っているという噂だ」
「なにも焦ることはないだろう」
 イアンはそっけなく応じた。
「おれはあいつのライバルにはならない」
「そこなんだが」
 トムは考え込む表情になった。
「おまえの立場はひどく微妙だ。 わかってると思うが、ウィニフレッド様が後添えになったからには、さかのぼっておまえを嫡出子と認めることができる。 となると、一番年上のおまえは……」
 イアンは一笑に付した。
「冗談じゃない! 誰もそんなことは言い出さない。 もちろんおれもだ」
「おまえに野心がないことは、おれが一番よくわかっているさ」
 トムは諄々〔じゅんじゅん〕と理屈を説いた。
「だがヴィクターの身になってみろ。 長男のゴーディーは美しく地位もある細君を迎えて、跡継ぎの座を安定させた。 おまえはみんなの認める人気者で、実力も充分だ。
 それに比べて、ヴィクターに何がある? 立場では兄に負け、力や顔ではおまえに遠く及ばない。 いろんな点でケチなんで、取り巻きも少ない。 そのくせ自尊心は強いから、さぞ悔しい思いで毎日を送っていると思う」
 ヴィクターは危険だ。 昔からイアンも、その予感をしっかり持っていた。 認知騒動に巻き込まれたくないのも、ゴードンよりヴィクターを警戒しているからだった。











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