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道しるべ  155 他人行儀に


 すぐにトムはくったくなく、自分の話を始めた。
「イアンが騎士になって土地を貸してくれたから、せっせと畑を耕してるんだよ。 今は農耕用の馬と鶏がいるだけだが、来週には山羊が手に入ることになってる。 そのうち羊も飼う予定だ」
 三人は英語で話していた。 それでもユージェニーがときおり鋭い反応を見せるので、もしかすると英語も少しはわかるのかもしれないと思い、イアンはトムに目くばせして侍女に気をつけるよう合図した。
 鋭敏なトムは、すぐ察したらしい。 ユージェニーから見えない角度に顔を少し動かして、右目を軽くつぶってみせた。


 トムがイアンと同じ荘園にいるのを、ジョニーはひどく喜んでいた。
「相変わらず仲がいいのね。 二人に会えてどんなに嬉しいか、言葉では言えないくらいよ」
「ほんとかい? 船で樽二個に上着を着せて逃げ出したのは誰だっけ?」
 トムがからかうと、ジョニーは恥ずかしそうに目を伏せた。
「ごめんなさい。 手紙を書き残していくべきだったわ。 でも、ハーグへ行ってどうなるかわからなかったし、うまく説明できなかったの。
 それにどっちみち、あの時点でこの国へは来られなかった。 あなた達の足手まといになるだけだったから」
「足手まといだなんて!」
 トムは本気で腹を立てた。
「そういう考え方は間違ってるぞ。 おれ達が心配すると思わなかったのか?」
「恩を仇で返した小さな泥棒と思ったんじゃない? お金の箱を盗んでいったんだもの」
 ジョニーがぎこちない笑顔で言うと、トムは冗談交じりに指を振って脅かした。
「もうあんなことするんじゃないよ」
「はい、トマス・デイキン様」
 ジョニーは首を垂れて、殊勝に答えた。


 同じ部屋にいて、自分のほうがジョニーの近くに座っているのに、イアンは孤独を感じた。
 それは三人で騒いでいるときに、初めから味わっていた奇妙な疎外感だった。 トムとジョニーの間にはへだたりがない。 トムはイアン相手のときと同じように、遠慮なく話しかけるし、ジョニーのほうも肩に力をいれずにあっさり応じる。 イアンが声をかけると、一瞬ためらいが入った後で、答えが返ってくるのが常なのに。
 その妙なぎこちなさは、婚約後の今でも完全には消えていなかった。


 それでも三人の話は、思い出を交えて大いに盛り上がった。 外国語の会話に長いこと付き合わされたユージェニーは、終いに部屋の奥へ引っ込んで、手提げから取り出したハンカチに刺繍を始め、三人を無視する手段に出た。
 三人もユージェニーを忘れていた。 時間が経つのも頭から消えていたが、ふと会話が途切れたときに、晩課の鐘(午後六時)が風に乗って聞こえてきて、我に返った。
「そろそろ館に帰らないと」
 イアンが呟くと、ジョニーもすぐ席を立った。









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