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表紙

道しるべ  148 将来を決断


「ずっと英国とフランスは交戦中だ。 この国は君には居心地が悪いかもしれない」
「フランス国内だってそうだったわ。 フランス領とイギリス領が睨みあっていて、すぐ紛争が起きて」
 その点では、確かに英国のほうがまだ平和だ。 反対する理由がなくなってきて、イアンは口をつぐんだ。
 馬車の中は静まり返った。
 やがてジョニーが先に身を起こし、寂しげに呟いた。
「気が進まないのね。 わかったわ、ではこの話はこれで」
 彼女がスカートを引き寄せて立ち上がろうとしたとき、イアンの腕が勝手に動いた。
 彼女の腰に巻きつき、強く引いて膝に抱いた。
「断るなんて言ってない。 だがきっと国王の許可が要るし、君は身分を落とすことになる」
「どちらも問題にならないわ。 ここへ嫁げば、私の婚資相続領地はイギリスのものになるわけだし、あなたたちがいなかったら、私は身分どころか命を落としていたのよ」
 確かにそうだ。 おまけに、折りよく国王はこの館にいる。
 イアンはまだ混乱していた。 しかし、一つだけ確かなことがあった。
 それは、彼が磁石のようにジョニーに惹きつけられ、どうにも手放せないという事実だった。
 これまで抱いた女で、こんな気持ちにさせてくれた人はいない。 彼女が親友の恋人でないならば、楽しい寝床を望んでなぜいけないのか。
 イアンはジョニーの肩に額を乗せて、固く目をつぶった。
「ありがたく君の申し出を受けよう。 もし本当に、君が後悔しないなら」
 腕の中のきゃしゃな体が、パッと熱を帯びた。
 しなやかな細い指が、イアンの乱れた髪を愛撫した。 二人は再び唇を重ね、またたく間に情熱の炎に呑み込まれていった。




 服装を整えた後、二人は上等な馬車を降りて、左右の開いたトンネル型の馬車置き場を抜けた。
 まずジョニーが叔父のダランソン侯に話し、承諾が得られれば彼の口から、領主のカー伯爵に伝えることになった。 叔父は承知してくれる、とジョニーは言い切ったが、もし万一拒否された場合でも、自分の意志で決めるつもりだった。 一度結婚したことで、ジョニーの権利は親の保護下にある娘よりずっと強くなっていた。
「叔父の部屋は東棟の三階で、右から四番目なの。 話し合いがうまく行ったら、窓から白いハンカチを垂らすわ。 もめたら青のハンカチを出すから、どうか助けに来て」
「わかった」
 手を強く握り合った後、二人は馬車置き場の出口で左右に別れた。


 国王が寝室に戻ったら、後は自由時間になる。 舞踏会を終えて三々五々出てくる貴族たちに見つからないよう、イアンは中庭の物置部屋に身を隠し、縦格子の入った窓から三階の窓を見つめた。
 鋲を打った扉に寄りかかって見上げているうち、胸に感慨がこみあげてきた。
 おれは家庭を持つ。
 これまで頭の片隅にもなかった未来だった。
 昔、村で一緒に過ごしたり張り合ったりした同じ年頃の男の子たちは、すでに多くが結婚していた。 ガキ大将だったロブは十七で蝋燭作りの娘リュシーと一緒になり、なかなか評判のいい石工になっている。 そして、もう子供が二人もいた。
 おれは子供が欲しいだろうか。
 嫌いではないが、特別に腕に抱いて可愛がりたいとも思わない。 複雑な気持ちでいると、三階の窓が少し押し開けられ、領主自慢の飾りガラスの角度が変わって、夕方の太陽がきらりと反射した。






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