表紙目次文頭前頁次頁
表紙

道しるべ  147 疲れ切って

 ジョニーは取引を持ちかけてきている。
 まだ痺〔しび〕れが残っている頭でも、一部は冷静に相手の出方を見極めていた。 それが生まれつきの性格なのか、苦労して心が硬くなったためかは、イアン本人にもわからなかったが。
 彼女の肩から手を離すと、イアンは醒めた声で言った。
「身分が上がったとはいっても、おれは只の騎士だ。 名門で財産のある君なら、イングランドの上級貴族がいくらでも望める」
 かわいい口を尖らせて、ジョニーは座席の角に寄りかかり、鋭く息を吐き出した。
「言ったでしょう? フランスの貴族たちだってうんざりなのよ。 まして何を考えてるのかわからない敵国の領主なんて!」
「じゃ、気心が知れているというだけで、おれを選んだのか?」
 馬車内は馬車置き場より更に暗い。 定かでないジョニーの顔の中で、白目だけが弱い外光を反射して仄青く光った。
「私は選んでなんかいない。 頼んでいるの。 あなたに好きな人がいて、その人と一緒になるつもりなら、この申し出は取り下げます。
 でももし、まだ身も心も自由だったら、考えてみて。 私はマイエンヌの近くに領地を持っているわ。 叔父が使いをやって、去年の地代を取り寄せてくれたから、もう一文無しではないの。 これからだって、ずっと」
 留守を守っている家来がしっかりしているのだろう。 長い領土戦争が続いているうちに、どちらに転ぶかわからないが。
 力なく寄りかかったまま、ジョニーは細い声で続けた。
「逃げ回るのは疲れたわ。 安心できる人の傍にいたい。 あなたとトムは、私が出会った男の人の中で、飛びぬけて頼もしかった。 比べられるのは叔父ぐらいのものだわ。 だから、できれば……」
 瞼が下がって、目の光が消えた。 彼女は本当に疲れきって見えた。


 ジョニーはすべてを語っていない。
 イアンの直感は、そう告げていた。 夢中になりたいとき、全身で喜びたいときに、いつも冷たく横槍を入れてくる、やりきれない彼の理性が。
 だが、その理性でさえ認める事実があった。 ジョニーの申し出は、最高といっていい条件だ。 これを断る男はよほどのバカとしか言いようがない。
 もし彼女が嫌いでないのなら。


 いや、たとえ嫌いでも、ほとんどの男は断らないだろう。
 ましておれは……
 イアンは胸が苦しくなった。 それ以上考えまいとして、きしむほど強く歯を噛みしめた。
「君は自分を安く売りすぎてるよ」
 感情の見えないその声を聞いて、ジョニーはパッと目を見開いた。
「いいえ! わからないの? 私はあなたとトムを尊敬してるのよ」
「じゃ、なぜトムに申し出ない? 彼がただの長弓兵だからか?」
「ちがうわ!」
 ジョニーは熱く言い返した。
「彼は……彼は、女としての私には興味がないの。 妹か娘みたいに思えるって、いつも言ってた。 熱がないのは、すぐわかるものなのよ」






表紙 目次 前頁 次頁
背景:Kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送