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表紙

道しるべ  146 逃げた理由

 ジョニーはおれを夫に望んでいる……
 次第にその事実が、じわじわと脳天に染み込んできた。
 イアンは息を呑み、ジョニーの肩を掴んで引き離すなり、涙ぐんだ大きな眼を凝視した。
「トムをどうする!」
 ジョニーの顔に、紛れもない驚きの表情が浮かんだ。
「トム? どうするって……彼が反対するの?」
 膝を曲げて馬車の狭い空間に嵌まりこんでいなかったら、イアンは地団太を踏むところだった。
「あいつを愛してないのか? あんなに仲良しだったじゃないか!」
 ジョニーは目を見張った。 口も小さい丸の形に開いた。
「え? そんな! トムは私を妹のように思ってくれただけよ。 私を信じて何でも話してくれたし、私も……ともかく、追われて逃げているということは正直に打ち明けたわ」
「おれは知らなかった」
 憮然としてイアンが呟くと、ジョニーはそっと手を伸ばして彼の頬に触れた。
「ごめんなさい。 あなたは最初、私を連れていくのが嫌そうだったでしょう? だから怒らせるようなことは言わないでってトムに頼んで、黙っていてもらったの」
 ジョニーが最初に消えたとき、トムが眠れないほど心配していたのを、イアンは思い出した。 あれは、彼女に身の危険が迫っていることを知っていたからだったのだ。
「誰が君を追っていたんだ?」
 ジョニーはうつむいた。
「モンタルヴィの後継ぎで、死んだ夫の従兄弟。 私の財産を逃すまいとして、無理にでも結婚しようとしていたの」
「それで君は、あの辻強盗になった男と駆け落ちを?」
「駆け落ちじゃないわ」
 サッと顔を上げて、ジョニーは毅然とした表情になった。
「彼は本当に兄なのよ。 母親違いだけれど」
 庶子か私生児なのか。
 イアンは鋭い痛みを心に感じた。 自分と同じ立場の若者だったのだ。
「家族の中で、私を護ってくれたのはジャン・ミシェルだけだった。 フランスの手の及ばないカレーへ逃げ込んだまではよかったんだけど、外国へ渡る船を見つけようとして金を騙し取られた上、二人ともひどい風邪を引いてなかなか治らなくて、体力もなくなった。 強盗は旅費を作る最後の手段だったの」
 世の中の厳しさを知らない若い兄妹のことだ。 簡単に狡猾な世間のえじきになったのだろう。 イアンの怒りは徐々に冷めていった。
「じゃ、君はあの金箱を使って、どこへ逃げた?」
「最初の計画通り、ハーグの港へ。 かわいがってくれた叔父が向こうで大使をしていたから。 叔父が最後の頼みだった」
「その人が、今度一緒に来たダランソン侯なんだな?」
「ええ。 叔父は外交の達人で、王様の信頼が厚いの。 だから今度英国に派遣されるとわかって、私も連れてきてくれた」
 君は英国へ亡命したいのか。
 改めて、イアンは腕の中の小柄な女性をじっと見つめた。







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