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道しるべ  143 事情を聞く

 トランペット、ハープ、それにヴィオーレ(バイオリンの前身)の調べに乗って、巻き毛の金髪をなびかせた二人が流れるように動いていく。 背の高さも頃合いで、あまりの優雅さに見とれる客が一人、また一人と増えた。 いつの間にかイアンたちの周囲は他の踊り手が遠慮して、円い空きができてしまった。
 そんなことに、イアンはまったく気づかなかった。 自分が踊っていることさえ半ば忘れて、モードの言葉に一心に耳を傾けていた。
「あの人たちは、到着が遅れたのよ。 お姫様のほうが気分が悪くなったとかで、ここの前に泊まったヴィルフォート卿の館で休んでから来たの。 着いたのはついさっき」
「お姫様?」
「そう呼ばれてるの。 なんか弱そうで、風にも耐えないって感じじゃない? フランスじゃお家柄なんですってよ。 七代も続く伯爵家の一人娘で、大物の侯爵に嫁いだんだって」
 初めてイアンの足元が乱れた。 あやうく引っかかって転びそうになったモードが、慌てて言葉を継いだ。
「ちょっと! 石にならないでよ。 心配しなくても、もう夫はいないわ。 戦の前に槍試合に出て、落馬して首の骨を折ったの」
 イアンの呼吸は回復した。 それでもまだ気になることはあった。
「じゃ、傍にいたあの貴族は?」
「あれは叔父さん。 非公式のフランス大使。 今度の戦争の後始末に来てるんだけど、なかなかまとまらないらしいわ」
「なんでその叔父さんとレディ・クラリーは一緒に来たんです?」
「叔父さんのダランソン侯爵は奥さんがいないから、代わりに英語の話せる姪を連れてきたそうよ。 未亡人だから、いろいろ自由がきく身よね」
 モードはなんだかうらやましげだった。
 そこで丁度、楽曲が終わった。 ふたたびお辞儀をし合いながら、イアンは尋ねた。
「どうしてそんなに事情に詳しいんですか?」
 とたんにモードは眉を上げて、複雑な笑顔になった。
「だってあの人、着いてすぐに私に話しかけてきたのよ。 なんかピンと来たのかしらね。 私も退屈してたもんだから、話が弾んで、いろんな世間話しちゃった」
 珍しい。 モードの美貌は他を圧していて、普通の娘たちはあまり彼女に近寄りたがらないのだ。 イアンは、おとなしいが芯の強いジョニーの性格を思い浮かべて、胸の奥が熱くなった。
「それにしても驚いた! あなたが女性に見とれて礼儀を忘れるなんて。 そりゃ確かに優雅な人だけど……」
 モードはなおも話し続けようとしたが、若い貴族がじれったそうに二人の間に割り込んで、次のダンスを申し込んだ。 イアンはおとなしく離れ、バルコニーに出て考えを整理しようとした。 しかし、彼のほうにも着飾ったお嬢様方が鈴なりになって、踊るまで許してくれなかった。


 昼間の舞踏会は、食事を交えて三時間近く続いた。 ようやく解放されたイアンが裏庭に続く階段を駆け下りていく背中を、九時課の鐘の音が追ってきた。
 レディ・クラリーの姿は、昼食会の後から見えなくなっていた。 今ごろは人けのない馬車置き場で、息を潜めて待っているかもしれない。 イアンは新しく仕立てたきらびやかな上衣の裾をひるがえしながら、全速力で下っていった。






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