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表紙

道しるべ  140 増す違和感


 気持ちに陰りが出たのは、騎士に昇進して自前の土地を与えられた後からだった。
 これまでイアンは、ずっと思っていた。 サーのつく身分になり、荘園を貰って一人前と認められれば、それなりの生きがいが出てくるはずだと。
 だが実際には、そうはならなかった。
 イアンは旧デネガン屋敷へ正式に引っ越した後、教区の司祭に会って寄進を行ない、村長や昔なじみたちが祝いを述べに訪れた返礼として、橋の改修と入会地(村民が共同で使う牧草地など)の整備をすぐ実行した。
 イアンはまた、荘園にある二つの村と耕作地を査察し、実情を調べた後で差配に会った。 初めは新荘園主の若さを軽く見ていた差配のスターンズは、割り当ての畑と新たに開拓した土地、水利と井戸の数、小作人の家族数の変化などをイアンが正確に掴んでいるのを知って、青くなった。
 年は若くても、イアンはこの数ヶ月で、したたかな商人たちとの交渉によって鍛えられていた。 領主の威光を笠に着てのんびり仕事のできるスターンズとは、実務力が段違いだ。 イアンの穏やかな物腰にまどわされているうちに、スターンズは数々の税金取りこぼしや取りすぎをやんわり指摘され、次の期末払いまでの期日を『試用期間』にされてしまった。
 つまり、今度きちんと仕事をしないと、その事実を上へ報告されてしまうというわけだ。
 イアンの試算によると、九割正確に税を徴収したとして、四半期で二四○ポンド(1600〜2000万円)ほどの増収になる。 その金額なら、橋を直す材木を買ってお釣りがくるはずだ。
 仮に新しい補強工事をして、例の隠し金をこっそりつぎ込んだとしても、税が増えればばれる心配はなかった。


 細かく注意されてムクれたスターンズが、村の酒場で不満たらたら言いまくったため、イアンの計画は成功した。 これで新しい地主をバカにして出し抜こうとする者は少なくなるはずだ。
 事実、村人も出入りの商人も、イアンに一目置くようになった。 ただし、尊敬されるようになった分、昔のようになれなれしく近づいてくる村人はほとんどいなくなった。
 彼は公平で威厳のある荘園主として、あっという間に上に立つ存在になってしまったのだ。


 騎士見習から念願の騎士に出世できた仲間たちも、授与式や祝賀行事で着飾ったイアンを見たときに、引いてしまった。 両親ゆずりの美貌と、父親から受け継いだ立派な体躯のイアンは、盛装するとあまりにも目立ちすぎた。
 誰だって引き立て役になるのは好まない。 以前の少年っぽい明るさがいくらか消えて、替わりに男性的な魅力が増したから、友達にとってはますます始末が悪かった。 それで、賭け事や酒盛りには誘ってくれても、社交ではお呼びがかからなくなった。 騎士たちの次の目標である立派な持参金つきの花嫁候補たちの視線が、みんなイアンに集まってしまうのが困るからだ。
 まったく前と変わらずに接してくれるのは、憧れの目を向ける後輩たちと一部の先輩、そしてトムだけだった。


 それに、同輩たちとは話題も噛みあわなくなってきていた。
 家庭を持つのは、イアンの夢ではなかった。
 義理の父が泥酔しては母を脅し、宝石や金、果ては思い出のドレスさえ取り上げて売り飛ばすのを、子供時代のイアンは毎日のように見てきた。
 そして最後の一ペニーまで絞り上げ、母を引きずり出して仲間に売ろうとするのを。
 そのとき、イアンは皮はぎ用のナイフを構えて、義父の背中に体当たりした。
 まだ十歳にしては体が大きく、力も強い子供だった。
 おれは家庭など知らない、とイアンは思っていた。 その後、母と苦しいながら平和に暮らした歳月だけが、おぼろげに輝いている。 でも結局、その母も彼を置き去りにして、夫と別の子供を選んだ……。






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