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表紙

道しるべ  139 到着した王


 取り巻きの貴族や側近、それに護衛兵に囲まれて、国王は堂々と到着した。 道中にある領主の城や館を泊まり歩いて、一ヶ月以上かけた長旅だった。
 国王エドワード三世の横にいるのは王妃ではない。 正妃のフィリパは賢夫人で有名で、人望も厚かったが、一年前に世を去った。 その後、王妃の元侍女アリス・ペラーズが国王をとりこにして、次々と宝石を買わせ、土地を手に入れているという噂は、このヨークシャーにも届いていた。
 イアンは他の若手騎士たちと並んで、うやうやしく頭を下げて出迎えた。 国王は華やかな青と赤の上着に白い毛皮をたっぷり使ったスュルコ(長ベスト)をまとい、豪華に着飾っていたが、髪はすでにほとんど白くなり、疲れた様子だった。
 しかし、愛人のほうは国王より二十八歳も若いためか、元気一杯で、近代的な美しい館を楽しそうに観察していた。
 次々と馬が止まり、馬車が乗り付けられ、宮廷貴族たちが夫人や令嬢を伴って入ってくる。 侍女や侍従、御者にお付き、道化役の面々。 さしも広いワイツヴィル館でさえ満室になってしまいそうな大群に見えた。


 春たけなわの季節で狩の獲物も多く、その夜の晩餐は豪華なものになった。 鹿やウサギ肉のパイ、白鳥や雉の姿造りに鯉のスープ、続いてイチゴやすもものピューレ、梨のコンポートなどのデザートが所せましと食卓を埋めた。
 大広間は料理に舌鼓を打つ客たちと、力をこめて演奏する楽団とで、割れんばかりの賑やかさになった。
 イアンは途中ですっかりうんざりしていた。 もともと森の縁で静かに育った身だ。 嵐の音には慣れていても、人いきれと酔っ払いの喚声には耐性がない。 分身のようなトムが傍にいないのも寂しかった。
 結局、人々がいい具合に酔っ払った頃に、そっと目立たぬように抜け出して、仲良くしている馬屋番のエディの元へ行き、並んでマントを被って寝てしまった。


 おかげで翌朝は、すっきりと目覚めた。
 昨夜騒いだ貴族たちがまだ寝床でぐだぐだしている間に、イアンは馬を飛ばして一旦自分の荘園に帰り、トムの畑を見に行った。
 トムはいつも通り、夜明けと共に起き出して、イアンに任された耕作地の手入れをしていた。
 三年前に西ヨーロッパと英国を同時に襲ったペスト大流行のせいで、農民はずいぶん減り、多くの畑が放置された。 そのせいで、トムは初めて耕す土地として、よく肥えた一等地を簡単に選ぶことができた。
 いずれは自営農になる予定なので、畑作りのベテランに教えを乞うては、力の強い牛を見分ける方法や、水路を作るやり方などを熱心に身につけている。 その日もジェイコブ老人を横において話し合いながら、牛小屋の修理に余念がなかった。
 声を掛けて近づき、イアンも上着を脱いで手を貸した。 トムは汗のしみたシャツ姿で、驚いたように振り返った。
「おう、館にいなくていいのか?」
「みんな昼まで寝ているから、午後に戻れば充分だ」
 そう答えて、イアンは肩を回した。
「きゅうくつな晴れ着を着てお辞儀ばかりしていると、全身が凝ってくる」
「そりゃそうだ」
 トムが甘やかすように言った。
「中央貴族はどんな感じだ?」
 板を運びながら、イアンは顔をしかめた。
「おべっか使いと衣装道楽だ。 どうも小ずるくて信用できない」
「宮廷って、そういうものなんだろうな。 俺はもちろん、たぶんおまえにも関係ないな」
 実直なトムがのんびり答えるのを、イアンは笑顔で眺めた。 彼はいつもゆるぎない。 イアンの人生の清涼剤だった。 トムがいなくなったら自分はどうなるんだろう、と、イアンは特に最近よく考えて、不安に駆られることがあった。







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