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道しるべ  131 騎士になる


 ヴィクターがどうしてもその場を離れようとしないうちに、モードはイアンに話そうとしていたことを忘れてしまった。
 それで、イアンは彼女から解放されて、兵士宿舎に足を向けることができた。
 連れのトムは話の間ずっと、一歩下がった距離で黙ったままだったし、ヴィクターとモードは彼を空気のように無視していた。




 それから二週間、館は忙しく活気づいた。
 事実上の敗戦処理をしている国王の手前、近隣の貴族や地主たちを正式に招いて派手な宴会をぶち上げるわけにはいかなかったが、それでも武芸試合に参加するという名目で、伝え聞いた騎士や知り合いの領主などが出席を申し出てきた。
 騎士になる三人の若者には、それぞれ美しい衣装が下賜〔かし〕された。 ローアンには栗色、デイヴィーには緑、そしてイアンには深紅のベルベットと絹を組み合わせた服で、上等のタイツもついていた。
 それぞれの服には精巧な縫い取りがほどこされていた。 特にイアンの服の胸元には、翼を広げた鷲が描かれていて、ローアンは盛んにうらやましがった。
「おれのも綺麗だが、狼の足が細い。 ひょろひょろで、まるで飢えてるみたいに見えるんだぜ、ほら」
「狼はふつう飢えてるんじゃないのか?」
 長い首をした一角獣の刺繍を自慢げに撫でながら、デイヴィーがからかった。 彼は充分満足しているらしかった。
 イアンは何も言わず、服を畳んで持ち帰った。 刺繍の隅にWの隠し文字があるのを、見ないふりをして。
 それは昔、細々とした火の炉辺で、母が彼の服を縫い上げた後、いつも小さく縫い取りしていた印だった。


 式典の日は薄曇だった。
 それでも気まぐれな雨は降りそうで降らず、騎士号授与式は大広間でとどこおりなく行なわれた。
 トランペットでファンファーレが厳かに流れる中、領主が剣を差し伸べて、新しく騎士になる若者たちを一人ずつ呼び出す。 そして、喜びと緊張に頬を紅潮させてひざまずく彼らの右肩から左肩へ、そして再度右肩へと軽く叩き、騎士に任じるという宣言を行なった。
 晴れの式典の後、一同は大規模な祝いの晩餐会へとなだれこんだ。
 広間の壁には、招かれた領主や騎士たちの盾がずらりと並んで掛かり、三基の銀製シャンデリアや壁の台に惜しみなく取り付けられた蝋燭からは、昼間のような明るい光が食卓をまんべんなく照らした。
 長いテーブルが幾つもつながれてコの字型に並び、それぞれに上等なリネンのテーブルクロスがかかっていた。 真中のテーブルの中央に、まず領主夫妻が着く。 その両脇のもっともよい席に、晴れて騎士になった三人が着席した。
 それから身分により、また領主との親しさによって、客が次々とテーブルの片側の席に着いていった。 その向かい側には、補佐役として騎士見習が座った。
 こうして人々が落ち着くと、給仕がフィンガーボールとお手拭きを皆に配った。 そしてまず、ワインが大きな壷から次々とそそがれた。
 いよいよ食事の開始だ。 楽師や歌手たちがステップを踏んで登場し、ご馳走がどんどん奥から運ばれてくるのに合わせて、演奏を始めた。
 やがてテーブルの上は料理の皿で埋まり、隙間が見えないほどになった。 普通の宴会では、客は自前のナイフとスプーンを持ってくるのだが、裕福なワイツヴィル伯は張り込んで、銀製のものを一人分ずつ置かせていた。
「食事が済んだ後で、何本テーブルに残っているか見ものだな」
 実際家のローアンが、こっそりと呟いた。




 翌日も、途中で小雨は降ったが、天気はなんとか保ってくれた。
 いくぶん強い風で、出場する騎士たちの旗や肩飾りがはためく。 見物席がぎっしりと埋まる中、馬上試合や模擬戦で、館の周囲は終日沸き返った。









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