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表紙

道しるべ  118 出発までに



 やるべきことがたくさんあるのは、イアンにとって幸いだった。
 明け方近くまで力仕事をしていたにもかかわらず、彼は朝食に黒パンと干し肉が少ししか残っていないのを知ると、パン一切れを取っただけで、後はジョニーとトムに譲り、ロバの世話をしに行った。 その仕事も、本来はジョニーの役目だった。
 体の中に悪魔が居座っている。 いくら理性が禁止しても、彼女が傍に来るたびに抱えあげてさらっていきそうになる。
 たまらない衝動を忘れるために、イアンは普段以上にてきぱきと動いた。 餌やりの済んだロバを引いて町に出て行き、酒屋を見つけて、大型の荷車を借りる交渉に入った。


 一時間ほどして、イアンは頑丈な馬つきの馬車に乗って戻ってきた。 裏門の陰で待っていたジョニーが、林の前に止まった馬車に近づき、しっかり手綱を取った。
 イアンは御者席から飛び降りると、ジョニーと目を合わせずに告げた。
「ロバは担保に置いてきた」
 ジョニーは馬車につながれている大きな鹿毛の馬に触れ、なだめるように撫でた。 すると馬はがっしりした首を曲げて、ジョニーの手の甲に鼻面をつけた。
 彼女は馬の扱いに慣れているらしい、と思いながら、イアンは目の端でジョニーと馬の動作を追っていた。 傍にいると気になって仕方がない。 ジョニーに近い体の片側が熱を帯びてきた。
 またフラッとなって、彼女を抱き寄せてしまったら。
 イアンは体を強ばらせ、歯を食いしばってジョニーに言った。 焦るあまり、つっけんどんな物言いになった。
「すぐトムを呼んでくるんだ。 馬車はおれが見張ってるから」


 ジョニーが裏庭に向かおうとして木戸から入ろうとすると、すぐトムが出てきて、あやうくぶつかりそうになった。
「おっと、大丈夫か?
 イアン! うまく馬車を借りてきたな。 二階の窓から見えたんで、できるだけ急いで降りてきた」
 そう言って、トムは背中や胸に山のように背負った三人分の荷物を揺すってみせた。
「全部持ってきた。 もうこの屋敷に用はないからな。
 少しだけ残った樽は、林の中に出しておいた。 おまえ夜の内にずいぶん運んだんだな。 おれを起こして手伝わせればよかったのに」
「蹴ったって起きなかっただろうよ。 おまえ白目むいてガーガーいびきをかいてたから」
 イアンはできるだけ軽くいなした。 そして、トムから荷物を次々受け取って御者台の下に置き、馬を促して、馬車を林の中に引き入れた。
 それからは、荷積みが続いた。
 まず板を下ろして荷台へ坂道を作り、樽を転がし上げては立てて並べた。
 ここまでは一回で運べるだろうという数を積むと、イアンが河口まで運んでいった。 そこからは、船会社の作業員が船に荷揚げしてくれる。 十五分で歩いていけるほどの距離なので、午前中だけで五往復できた。


 牽き馬を替えてまた運び、午後の三時には、すべての樽が船内に納められた。
 出航を前にして、ブノア氏が事務所からハンザ同盟の旗を持ってきてくれた。
「これが必要でしょう。 マストの上に掲げておけば、まちがって攻撃されることはないはずですし」
 そこまで思いつかなかったイアンは、喜んで心からの感謝を述べた。








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