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道しるべ  115 辛い胸の内



 ジョニーをがっちり抱きしめたまま、トムが曲げていた腰を伸ばすと、小柄な彼女の足が宙に浮いた。
 トムが目をつぶってジョニーに頬ずりするのを、イアンは入り口の傍でじっと見つめた。 なぜ胸に焼けるような痛みが生まれたのか、つかつかと歩いていってトムから彼女を引き剥がしたいという野蛮な衝動が湧き上がるのか、わからぬままに。


 少しして、トムはようやくジョニーを下に降ろしたが、また消えてしまうのが怖いのか、片腕をしっかり掴んだままだった。
 その態勢で、トムはいそいそと暖炉の前にジョニーを伴い、ガンガン薪をくべて、一分でも早く温めようとした。
「なんて薄着なんだ! おまけに血がついてるぞ! 怪我したのか?」
「これは私の血じゃないの。 もう乾いちゃったし」
 それでもトムは、ジョニーが大丈夫となだめるのも聞かず、自分の上着を脱いで彼女をくるみ、火のすぐ傍に押しやった。 
 すると、炎の明るさでジョニーの顔がよく見えて、トムはまた息を呑んだ。
「疲れきってるじゃないか。 目の下に隈〔くま〕ができて顔色が悪い」
「ずっと歩いてきたから」
 ジョニーはトムに寄りかかって、イアンにした説明を繰り返した。 予想した通り、行商人ショナールが彼女を攫〔さら〕ったとわかると、トムは激怒した。
「女だとばれたんだな?」
「ええ」
「何かされたか?」
 その問いは、イアンの心臓を締めあげた。
 彼のほうをまったく見ずに、ジョニーは淡々と答えた。
「何も。 ただ巡礼服を取り上げて、男の子のふりを続けろと言っただけ」
「身のほど知らずの馬鹿野郎め!」
 トムは獰猛〔どうもう〕に唸った。
 我慢できなくなったイアンは、前に進み出て小声で言った。
「腹がすいてたまらないそうだ」
 トムは飛び上がりかけた。
「そうか! 気がきかなかったな。 昼間買ったのがまだ残ってるぞ。 肉にパンにワイン、ほらリンゴもある」


 イアンは打ちのめされた気分で、床に敷いてある自分のマントの上に体を倒してから、片肘をついて頭を載せた。
 目の前では、ジョニーがおいしそうに豚の肉をほおばっていた。 トムはそんな彼女にぴたりとくっついて座り、愛しげに見つめ続けていた。
「朝一番に探しに出るつもりだった」
 ワインの壷を受け取りながら、ジョニーはうなずいた。
「ええ、イアンから聞いたわ」
「金箱のコインは減ってないし、一文無しでどうするつもりかと」
「裏庭にいるところを見つかったの。 お金を取りに上がったら、あの男に取られてしまうから」
「裏門に鍵をかけておけばよかった!」
 トムはさかんに悔やんだ。 それから他のことを思い出して、少し明るくなった。
「船の手配はうまく行ったよ。 塩を全部載せて、ポーツマスに行くんだ。 向こうでできるだけ高値でさばく。 みんな財産持ちになれるんだ。 もちろん一緒に行くよな?」
 ほんの僅か、一秒の何分の一かの間、ジョニーはためらった。
 それから、低く答えた。
「ええ、行くわ」








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