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道しるべ  114 熱に負けて



 イアンは、茫然として目を見開いた。
 逆落としになったような情熱のほとばしりの後で、凍えるような罪悪感が襲ってきた。
 これまで彼は、ただの一度も欲望に押し流されたことはなかった。 誘われた女と寝るのは、男として当然だと思っていたし、気が進まないときでも何か楽しみを見つけて、後味よく別れた。 心を傷つけそうな相手には決して近づかなかった。
 それなのに、よりにもよって……。
 肘で上半身を起こそうとして、力を失っていることに気づいた。 くたくたに疲れていて、体が思うように動かない。
 ようやくジョニーから離れると、話しかけようとして口を開いたが、かすれた囁き声しか出なかった。
「すまない……おれはひどいことをしなかったか?」
 言った後で舌を噛み切りたくなった。 前触れもなく襲うのがひどいことでなかったら、何がひどいんだ。
 それでも不安で訊かずにはいられなかった。 あまりに衝動が激しくて、ほとんど記憶が飛んでしまっていた。
 すぐ横でジョニーが小さく動き、囁き返した。
「あなたはひどいことをするような人じゃないわ」
 イアンは天を仰いだ。 ほぼ真っ暗な地下だから、濃灰色に覆われた天井しか見えなかったが。
「こんなつもりじゃなかった」
「わかってる」
「夕方に飲んだワインで悪酔いしたのかも」
「わかってるって」
 イアンはどうにかして、意図的にやったわけではないのを説明したかった。 ジョニーは初めてではなかった。 どんなに情熱に溺れていても、抱かれた経験があるかどうかぐらいはわかる。 トムはいつもジョニーを護り、大切にしてきた。 抱き合っているところを見たわけではないが、ふたりが身も心も結びついているのは確かだ。
 相手もあろうに、親友の恋人に手を出したなんて。
 イアンは頭を壁にぶつけて、かち割ってしまいたい気分に駆られた。
 すると、ジョニーが手を彼の胸に置いた。
「忘れて。 なかったことにしましょう。 無事に逃げて帰ってこられて、気持ちが高ぶってしまったの」
 なんで自分のせいにするんだ。 イアンはいっそう罪の意識に駆られた。
「悪いのはおれだ。 もう二度としない。 信じられないかもしれないが……」
「信じるわ」
 きっぱりとイアンの弁明を遮ると、ジョニーはごそごそと起き上がった。
「さあ、早く行きましょう。 おなかがぺこぺこなの。 まだ食べ物は残ってる?」
 イアンは気持ちを集中させようとした。
「あるはずだ。 おれたち二人とも今日は食欲がなかったから」
 君が心配で、という言葉は胸につかえて、声にならなかった。


 急な階段をなんとか上りきって廊下に出た。 そこから二階まではあっという間だった。
 暖炉の火はまだ残っていて、その前でトムが立ちあがって気配をうかがっていた。
「イアン? 長いことどこへ行ってたんだ? さっきドスンという音が聞こえたが……」
 イアンの横をすり抜けて、ジョニーが部屋に入った。 トムの眼が裂けるほど見開かれ、次いで顔中が笑いでくしゃくしゃになった。
「ジョニー!」
 彼が体を屈めて思い切り開いた腕の中に、ジョニーは一直線に飛び込んでいった。








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