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道しるべ  110 不審な人影




 トムはあくまでも、自分だけでジョニーを見つけ出すと言い張った。
「あんな行商人ぐらい、片手で始末できる」
「それは確かだが、相手はこの辺の地理に詳しいんだぞ。 追っ手がかからないようにうまく逃げるはずだ」
 じれったそうに、トムは額に垂れかかった前髪を払いのけた。
「商品を山積みにしたオンボロ馬車でか? おまけに嵐の後で土はまだ柔らかい。 道を外れれば轍〔わだち〕の跡がつくし、地面にめりこむ。 急ぐことなんか、できゃしないさ。 夜明け一番に大門を出て、半日あれば追いついてみせる」
 それでもイアンは不安だった。
「おれが行ったほうが、道を訊ける」
「よせよ」
 トムが一蹴した。
「町の住民なら人ずれしているが、ここの農民連中が手助けしてくれると思うか? 余所者が話しかけたら、鋤を持って襲ってくるのがオチだよ」
「じゃ、ますますおまえを一人では行かせられない」
 議論は不毛のまま途切れ、二人は背を向け合って横たわった。


 体は疲れているのに、眠れなかった。 ジョニーが女だとわかったから、さらわれたのだ。 今ごろどんな目に遭わされているかと思うと、震えるほど腹が立った。
 そのうち、酒の飲みすぎで落ち着かなくなったイアンは、起き出して裏庭へ用足しに行った。 ついでにロバのいる馬屋を覗いてから戻ろうとしたとき、塀の向こうから何かが聞こえた。
 夜のしじまの中では、音が大きく響く。
「ああ見つけた!」というかすれた喘ぎだったような気がして、イアンは硬直し、裏木戸からすべり出た。


 人影は見当たらなかった。 だがイアンの不安は高まった。 誰かが塩樽を発見したにちがいない!
 イアンは足を忍ばせて道を横切った。 空では糸のような三日月が、薄雲の陰で細くにじんでいた。
 林の奥までは、ルドン邸の前に焚いたかがり火の明るさは届かず、暗く沈みこんでいた。
 だが、鼻をつままれてもわからないほどの闇ではなかった。 白くぼんやりした塊があるのを、イアンはすぐに見つけ、身を屈めてじりじりと近づいていった。 用心深くしなければ危険だ。 相手は一人ではなく、盗賊団かもしれないのだ。
 白い影は、しばらくじっとしていた。 イアンは這うようにして接近し、その影が樽の列の端にもたれかかっているのを見てとった。
 他に人の気配はない。 手の届く範囲まで行ったイアンが、そっと腕を伸ばして影の襟首を掴もうとした瞬間、相手が寝返りを打つように体を回して、顔をあお向けた。
 イアンは伸ばした手を引っ込め、稲妻のような速さで腰の短剣を抜いた。
 その直後、影が小声で叫んだ。
「イアン?」


 疲れきって震え、別人のような声だった。 だが、イアンの耳は瞬時に悟った。
「ジョニー?!」
 とたんに影は張りを失い、ずるずると樽をすべり落ちて、くたっと地面に座りこんだ。
 










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