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道しるべ  92 淡い期待で



 驚いて、イアンはまじまじと上司を見詰め返した。
 あの女スパイ、マリーの最後の呟きなど、とっくに記憶から薄れていて、ほとんど思い出しもしなかった。 これまで人を、特に女を頼って、いい思いをしたことはほとんどない。 イアンが心から信じているのは、親友のトムと、目の前のクリントだけだった。
 樽に乗せていた足を踏み換えると、クリントは照れたような笑みを浮かべた。
「おれはもう結構な年だが、大きな屋敷の地下室と聞くと、お宝が隠されていそうな気になるんだ。 許されるならおれも探しに行ってみたいが、ゴーディーは許してくれんだろう」
「よくて坊主の隠れ穴があるぐらいでしょう」
 イアンがあっさり言うと、クリントの眼の脇にある笑い皺が一段と深くなった。
「醒めた奴だな。 おれがおまえぐらいの時には、もうちょっと夢があったぞ」
 そう言いながら、クリントは懐を探って小さな革袋を出し、無造作にイアンに放って掴ませた。
「路銀の足しにしろ。 ゴーディーにはうまく言っておくから、トムも用心棒に連れて行け。
 その代わり、金目の物が見つかったら三分の一おれによこせよ」
「はい、もちろんです」
 イアンも、にやっと笑って答えた。


 ようやく船の支度ができて、ワイツヴィル軍は港近くの町外れに集まり、乗船の準備をしているところだった。
 まず貴族たちが、徴用していた上等なバージ船に乗り込んだ。 テントや敷物、毛皮、鎧などが続々と運び込まれていくのを、雑兵たちは寒さに足を踏み鳴らしながら見守った。
 イアンは、点呼を受けた後まとまって並んでいる兵たちを縫って歩き回り、ほどなくトムとジョニーを見つけて、集団から引っ張り出した。
「悪いが、すぐには帰れなくなった」
 トムはそれほど驚いた様子はなく、ただ眉を寄せて、目で問い返してきた。
 イアンは、周囲に聞こえないよう、もう少し端に寄って、楡の大木の陰に回った。
「クリントさんから言いつかった。 ディエップに戻り、ある家の地下室を探す」
 トムの眼が、面白そうにまたたいた。
「謎めいてるな。 戦いに関係あるのか?」
 イアンは首をかしげた。
「いや、多分ないと思う。 大したものは見つからないだろうが、はるばる来て空手で帰るのが悔しいんじゃないか? 少しでも利益になる可能性があれば試してみたいんだ、きっと」
「地下室?」
 珍しく、ジョニーが小声で尋ねてきた。
「もしかしたら武器庫になってるのかも」
「ああ、そうかもしれない」
 トムがすぐ賛成した。
「いい武具は金になる。 行ってみようぜ」




 ディエップはルーアンの北にある港町で、晴れた日には対岸のイギリスが薄ぼんやりと見える。
 イアンとトムはジョニーを連れて、大変な苦労をして駆け抜けたコタンタン半島を引き返すことになった。
 今回は厳しい時間制限がないため、彼らはフランス人の巡礼に身をやつし、クリントがくれた金でロバを買って、のんびりと乗っていった。

















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