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道しるべ  89 意外な命令



 束の間の勝利に酔っていた貴族たちの顔に、衝撃が広がった。 ゲクラン隊は、彼らが勢力範囲に取り戻したパリ周辺を固めていて、そこから北に出撃してきたという情報は、誤りだったのだろうか。
「サー・クリントの予想が当たっていたとしたら」
 鷲のような顔立ちをしたセントクレア伯爵が、沈痛な表情で呟いた。
「我らはもう間に合わないな」
「まだわかりませんぞ!」
 クリントは腹の底から声を出した。
「サン・フレール子爵の軍が、攻撃参加のために飛んでいったとすれば。
 雪は一時間足らず降っていただけです。 その程度先を越されただけなら、前を進むメルローズ侯爵軍は追いつけるかもしれません」
「しかし今、国王軍はどこにいる? 予定ではジロンド川を渡るあたりだが、実際にはラ・ロシェルかナント付近か、ビスケー湾沿いに動いていることしかわからん」
「やれやれ、敵も我らと同じことを考えていたわけだ」
 そう言って、サー・オーグルヴィーが赤ら顔を手で撫で回した。
「ゲグラン軍を南下させないためにカレーから来てみれば、相手はとっくにアキテーヌを目指していて、南下できないのは我らのほうだった」
「敵のほうが資金豊富ですからな、沢山の兵をあちこちに分散させられる。 それだけですよ」
 サー・メイベリーが醒めた口調で言った。


 だが、クリントは手をこまねいてはいなかった。 間もなく走ってきたイアンを頭〔かしら〕に五人の屈強な若者を選び、前を進むメルローズ軍に合流して国王軍の援護に行かせるよう命じた。
 イアンはショックを受けて、思わず命令の途中でクリントをまじまじと見つめてしまった。 五人の中に、トムは選ばれていない。 ただの従者だと思われているジョニーはもちろんのこと。
 二人と別れて別の隊に入らなければならないと思っただけで、イアンは首筋が冷たくなった。 ここは敵国で、今は戦争中だ。 斥候なら戻ってこられるが、合流するとなると、次にいつ逢えるか、いや、再会できるかどうかさえわからないのだ。
 イアンは反射的に振り返って、二人を目で追った。 クリントは彼の心情をすぐ察したらしく、きっぱりと言い添えた。
「我らも必ず追いつく。 そのためにおまえも入れて六人選んだんだ。 前の軍と密に連絡を取り合うためだ。
 敵の監視は激しくなるだろう。 だから二人ずつ組になって戻ってこい。 こっちの隊には速い馬を多く連れてきている。 危険だが、心して任務を果たせ」
「はい」
 行ったきりになるのではないとわかって、イアンは胸を撫でおろした。 連絡係は敵に狙われやすいが、数が少ない分、身を隠すのも容易だ。 生き延びて功績を上げれば手柄になる。 頑張り抜こう、とイアンは心に誓った。


 イアンは馬を取りに行く途中で、短い休憩を終えて焚き火を消し、出発準備をしているトムたちの傍を通ることができた。
 急ぎ足で歩きながら、イアンは早口でトムに知らせた。
「前の隊へ行くことになった」
 トムは驚いて、背負おうとしていた弓を取り落とした。
「なんだと?」
「隊の間を行き来するんだ。 少ししたら戻ってくる」
 それだけ告げるのがやっとだった。 遠ざかりながら振り返ると、大きなトムと小柄なジョニーの姿が、沈み行く夕日の中にシルエットとなって、じっと見送っているのが見えた。

















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