表紙目次文頭前頁次頁
表紙

道しるべ  82 斥候を出す



 イアンが二の句を継げずにいるうちに、ジョニーは小声で言い添えた。
「私は何をやるのも遅いけど、できないわけじゃないのよ。 練習すれば、きっと早くなるし、もう少しはうまくなると思う」
 確かにこの子は頑張り屋だ。 それを役立たずとからかった娘たちに、イアンは怒りを感じた。
「その女達は、陣中見舞いに来ている一部の奥方の下働きか?」
「そういう人たちもいるけど、侍女もいるわ」
 あきれたもんだ。 真剣勝負の戦だというのに、遊び気分で──イアンはますます不愉快になった。
「浮かれた女どもなんか気にするな。 それより、実戦が始まったら、すぐ鍛冶屋のところへ行って、荷車の後ろか下に隠れろ。 矢は横からだけじゃなく、上からも降ってくる。 流れ矢に当たらないよう、用心するんだ」
「わかった」
 ジョニーははっきりと答えたが、語尾がかすかに震えていた。


 それから数分で、イアンたちの馬は長弓部隊に追いついた。 大股で歩いていたトムは、二人を見ると満面に笑みをたたえ、素早くジョニーを受け取って馬から下ろした。
「うまく行ったか?」
 懐の短剣が果たした役割を思い浮かべて、イアンは言葉少なに答えた。
「まあな。 ヒューがどこにいるか、おまえわかるか?」
 トムは背伸びをして大隊を見渡した。 恵まれた身長と視力のおかげで、彼はすぐ、がっちりした体躯の男と何かを交換し合っているヒューを確認することができた。
「あそこだ。 ほら、『手斧のハル』と一緒にいる」
 たちまち、イアンは行進する人垣を掻き分けて、ヒューの腕を取り、脇に連れ出した。


 活発で怖れを知らないヒューは、密偵をすぐ引き受けた。 彼は、イアンの乗ってきた馬をもうしばらく借用することにして、すばやく飛び乗ると、南西の方角に走らせていった。
 それで、イアンは再びトムと肩を並べて歩き出した。 ジョニーは着替えや小物の入った布袋を二つ、振り分けにしてかつぎ、黙々と二人の後をついてきた。
 トムは、口数の少ないイアンの様子から、何が起きたのか大体の察しをつけているようだった。
「敵の回し者は死んだんだな?」
「そうだ」
 イアンは普通に話そうとしたが、どうしても声に苦さが忍び込んだ。
「訓練は積んだが、人を手にかけるのは初めてだ。 剣を抜き取るとき、目を開いたままの顔が見えた。 吐きそうになって、なんとかこらえた」
「初めての戦もそんなものらしい」
 ゆっくりと話しながら、トムは肩にかけた長弓の弦に触れた。
「頭の中が真っ白になって、自分がわからなくなるそうだ。 やみくもに木の幹に切りつけたり、ちびってしまう者も大勢いると」
「前の戦に出た連中が、先輩ぶって話したのか?」
 トムは薄く微笑んで首を振った。
「いや、騎士が僧院で懺悔〔ざんげ〕しているのを聞いたんだ。 彼は三度出陣して戦いには慣れたが、人を殺すのは最後まで辛かったらしい」
「おまえもおれも、人殺しに慣れるのは無理だな」
 イアンは確信を持って言い切った。
「何かを守るためなら戦えるが」
「家族、仲間、それに」
 トムの声が、一瞬途切れた。
「好きな女のためならな」














表紙 目次 前頁 次頁
背景:Kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送