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道しるべ  78 尋問の果て



 イアンはできるだけ馬を急がせた。 だが、最後方に着いたときには、すでに手遅れだった。
 戦いを控えた兵士は高ぶっている。 そんなときに、自分たちを敵に売った者がいると聞いては、冷静でいられるわけがない。
 鍛冶屋の馬車を見つけて、イアンが馬から飛び降りると、血が飛び散った枯れ草がまず目に飛び込んできた。 それから、ボロ切れのようになった男の体が、立ち木にぶらさがっているのも。
 女のほうは、まだ生きていた。 まず男を絞首してから、女に取りかかったらしい。 二人がかりで顔を殴っているところに、イアンは体を張って飛び込み、制止した。
「やめろ! この女に白状させなきゃならない。 誰の命令で探っていたか、どこまで隊の様子を話したか」
 男たちは、しぶしぶ一歩退いたが、それでもまだイアンと女の周りを取り巻いていた。
 特に気の荒そうな一人が、きっとイアンを見つめたまま、怒鳴るように言った。
「それなら俺たちも手伝いますぜ。 口を割らせるには痛めつけるのが一番だ」
 周囲の男もてんでに首を縦に振った。
 イアンは、目が腫れあがっている女を引き起こすと、地面に座らせた。 そして、前に片膝をつくと、厳しい口調で言った。
「裏切り者は四つ裂きの刑だ。 あれは生き地獄だぞ。
 だが、すべて話せば一瞬で息を止めてやる。 長く苦しまずに済む。 さあ、話すんだ」
 女は努力して瞼を持ち上げ、イアンの顔をまぶしそうに眺めた。 弱った声が、囁くように尋ねた。
「あんた、クリント様の部屋にいたね?」
 イアンは顔をしかめた。
「そんなことはどうでも……」
「どうでもよかないさ」
 女は半ばで遮り、驚いたことにかすかな笑いを浮かべた。
「最後に見るのがあんたの顔で、あたしは運がよかった。
 いいだろう。 話に乗るよ。 どうせあいつは」
 と、木で揺れている男を顎で指し、女はその方角に唾を吐いた。
「見つかったとたんに、あたしを突き飛ばして自分だけ逃げようとしたんだ」
 それから、女の声は完全な囁きになった。 聞き取るためには、前に体を倒さなければならないほどだった。
「向こうは、あんた達が二手に分かれたのに気づいた。 それで、ラバラン隊を呼び寄せて、後から行く部隊を待ち伏せしようとしてる。 サン・フレール子爵は囮〔おとり〕なんだ」
 イアンは唇を噛んだ。 クレティアン・ラバランはサン・フレールの倍の軍隊を持っているし、なかなかの精鋭を揃えている。 知らずに開戦したら、大変なことになるところだった。
 それでも、スパイの言う話が信用できるかどうか、疑わしかった。 斥候を出して真偽を確かめることになるだろうと思いながら、イアンは女を問いただした。
「おまえを雇ったのは誰だ?」
 女は小さく肩をすくめた。
「ランペイユって男。 サン・フレールの部下といわれてるが、本当のことはわからない。 あたしは金さえ貰えればよかったから」
 イアンは顔を上げて、木の男を見た。
「ランペイユはあいつか?」
 女は鼻を鳴らした。
「ちがうさ。 あんなのはただの連絡係だ」
「いつからこの汚い仕事を?」
「あんた達がカレーに上陸してきてすぐ。 それまではルーアンで酒場女をやってた。 親がむかし密輸をやってて、イギリス人とよく話したから、英語がしゃべれるんだよ」
 自分が頼まれたことがどれほど危険か、彼女は知らなかったらしい。 哀れなものだ。 イアンは暗い思いで膝を伸ばし、立ち上がろうとしたところで気づいた。
「何という名前だ?」
 女の頬に小さな笑窪が浮かんだ。
「もう訊いてくれないかと思ったよ。 マリーというんだ」
「マリーか」
 イアンが身を起こすと、とたんに男たちが輪を狭めた。
「もういいでしょう? 後は俺たちで」
「いや、約束がまだ果たされていない」
 イアンは覚悟を決め、男たちを目で制しながら、両刃の短剣を抜いた。
 マリーと名乗った女は、よろめきながら立ち、不意に自分からイアンに当たってきた。 まだ彼の準備ができてないうちに。
 イアンの手首が曲がって、胸に押しつけられた。 同時に、耳元で囁きが聞こえた。
「ディエップのルドン屋敷」
 イアンは瞬きした。 女は彼の胸をまさぐり、短剣の向きを自分のほうに置き換えた。
「ルドン屋敷の地下だよ。 約束を守ってくれたあんたのために」
 それから少し体を離し、あらためて全身をぶつけた。 そして、イアンの体を両手で伝いながら、ゆっくりと崩れ落ちた。














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