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道しるべ  74 割り切れず



 兵士の数が多いから、部屋にぎゅっと詰め込んでもまだ余る。 下の廊下は人で溢れ返っていた。
 宵の口だというのに、もう酔いつぶれて寝ている者もいる。 またぎ越えていくのに時間がかかって、イアンはうんざりした。
 それでも彼は人気があるので、目を覚ましている者はよけてくれた。 後から来て、ちゃっかりイアンの背中にぴったりついて楽をしようとした番兵のアーウィンは、前が通り過ぎた傍から寝ころんでしまう男たちに立ち往生していた。 番兵は、特に横柄なアーウィンは嫌われ者なのだ。
「おいっ、どけよ」
「痛てぇなー、踏むんじゃねぇ」
「俺は通用口の当番なんだ。 任務で通るんだぞ!」
「そんなら横の口から出て、雨ん中を行きゃーいいじゃねぇか」
 唾を飛ばして怒鳴りあっている声を背後に聞いているうちに、イアンはそのありがたい忠告を聞く気になった。 まだ廊下は長々と続いている。 外に出て走っていくほうが、ずっと早い。
 意を決して上着を取り、頭から被って、イアンは廊下の横のドアを開け、大理石を敷いたベランダに出た。 上に屋根はないが、格子がついているため、雨の勢いはいくらか削がれて、しぶき程度で済んでいた。


 小走りで別の入り口からすべりこんだ時、弾む息は真っ白だった。 冷たい雨が地温を奪い、一段と気温が下がってきたらしい。
 服を乾かそうとイアンが厨房へ行くと、温かいかまどに料理人たちが群がって、残り物を食べていた。 さっき的確な指図をしたイアンは、ここでも歓迎されて、アンリが床下の埃の中から見つけ出したという上等な白ワインのおこぼれにあずかった。
 銅のコップにつぎながら、アンリは訛りの強い英語で陽気に話した。
「トムにも飲んでもらおうとしたんだが、断られたよ。 酒が飲めないなんて気の毒だな。 薄くてまずいエールだけなんて」
 それから、部屋の隅に顎をしゃくって示した。 隅には大きすぎる上着を体の周りにテントのように垂らして、ジョニーの小柄な姿がうずくまっていた。
「それに、ここであったまるのもやめとくって言われた。 あのチビだけは置いてやってくれと頼まれたんだ。 かわいがってるよな」


 イアンはジョニーをちらっと見て、すぐ目をそらした。 胸の内がかすかに波立って、穏やかならぬ気分が湧きあがってきた。
 トムは『あのチビ』をひいきにしている。 近頃では親友の俺よりジョニーといる時間が長いし、よく話もしているようだ。
 弱い者を守りたいトムの性格につけこんで、味方にしようとしてるんだ。 俺の一番大切な友をたぶらかそうってのか。
 イアンは短く息を吐き、気を静めるためにゆっくりワインを飲み干した。 芳醇な液体が喉をうるおし、アルコールの熱が胃袋をじんわりと温めてくれた。
 やがて、飲み終えたコップを置こうとして腕を伸ばしたその下に、イアンは思いがけないものを見つけた。 今さっき、かまどのすぐ横にいたジョニーが、何時の間にか前に来て、真剣な眼差しで見上げていた。
「何かすることありますか? 行けと言われたら、すぐ行きます」
 柔らかい声が、囁くように言った。















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