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道しるべ  72 思わぬ事態



 ようやく本格的な出番が来た芸人たちは、張り切って衣装を着替え、二階の広間に飛び出てきて、貴族や騎士たちのご機嫌を伺った。
 一方、もっと下っ端の兵士たちは、一階や地下室などの雨をしのげる場所に入り込み、朝の残り物を女たちと食べながら、どう誘おうかと作戦を練っていた。 女の人数も食料と同じで、たっぷり手に入るとは言い難かったからだ。
 イアンは、いち早く厨房を見つけて中に入り、かまどに火を点させた。 酒を熱くして持っていかせるようにしたのも、彼だった。
 料理人たちがやってきて貴族たちの食事の支度を始めると、イアンは酒の壷を一つ持って、階段を上がった。
 上階の廊下には、小姓や護衛が行き交っていた。 その中に、クリントの傍仕えになっているニッキーを見つけて、イアンは司令官の居場所を訊いた。
 ニッキーはすぐ振り向いて教えてくれた。
「あの赤い扉の部屋です。 ご機嫌斜めですから、気をつけてください」


 扉をノックすると、少しして唸るような声が返ってきた。
「入れ」
 ドアを開けたイアンは、三又燭台を大きな机に載せて、難しい顔で図面を覗きこんでいるクリント司令官を見つけた。
 クリントは前かがみになったまま、頭をもたげてイアンを眺めた。
「おまえか、丁度いいところに来た」
「料理人のアンリからブランデーとチーズを貰いました。 一杯どうです?」
 クリントの口元が緩んだ。
「もらおう。 入れ物はあるか?」
 ぬかりはない。 イアンは懐から杯を二つ出し、酒壷と共に並べた。
 彼がなみなみとそそいだ杯を、上の空で手に取ると、クリントは眉をしかめて図面に視線を戻した。
「腹の立つ事態になった」
 いかにもクリントらしく、前置きなしに本題に入った。
「ゲクランの奴が雲隠れした」
「逃げたんですか?」
 思わずイアンの声が高くなった。
 クイントは髯を指先で掴み、低く唸った。
「逃げたとはいえないだろう。 まだ宣戦布告していなかったからな。 ただ行方をくらましたんだ」
 どうやら正面衝突を避けて、こっそり監視するという作戦にしたらしい。 イアンはうんざりした。
「国の代表としては情けないやり方ですね」
「その通りだ。 軍で移動するのには大量の戦費がかかる。 それを見越して我々を引き回し、食料不足などで消耗させようというのだろう」
「敵がそう出るなら、通り道で奴らが奪った領地を取り返したらどうですか? これだけの人数がいるんですから、探せばその土地にゆかりの貴族の一人や二人見つかりそうです。 その男が後継ぎの権利を主張すれば、十分な城攻めの理由になります」
「それも確かに手だ」
 クリントは酒をぐっとあおり、短く息をついた。
「ただ、国王が支援したいのはアキテーヌ(フランス南西部)だということを忘れるな。 王太子が理不尽に奪われかけている領有権を、力で確保するのが第一の目的なんだ」
「でもそれは、ブルターニュからの軍勢が……」
 イアンがなおも話し続けようとするのを、いきなりクリントが手で遮った。 司令官の目は強い光をはなち、耳は戸口に鋭く向けられていた。















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