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道しるべ  52 死の直前に



 あまりの意外さに、イアンは一瞬怒りを忘れた。
 トムの顔にも驚きの色が広がった。
「男……男なのか?」
 冷たい道に横たわった細い体が、しなるように痙攣した。 性別がわかった今でも女のものとしか思えない色っぽい唇が、懸命の努力で小さく開いた。
「……あんたは……やさしかった。 殴らなければよかった……」
「今ごろそんなことを」
 再びカッとなって言い返そうとしたイアンを、トムが手で制した。
「それで?」
「俺……俺は、ジャン・ミシェル……」
 弱っている上に慣れない英語でしゃべるため、白い女、いや男は何度も言葉に詰まった。
「スール……じゃない、妹がいる…… 俺がいなくなったら、妹は……」
 力を振り絞って、男の手がトムの袖を掴んで引き寄せた。 そして、トムの耳元で何事か囁いた後、全身の力が抜け、腕がバタリと地面に落ちて、首が横に傾いた。


 トムは静かに男を離し、ゆっくりと立ち上がった。 そのとき、倒れた男の髪が指に引っかかって、頭から落ち、短く刈った茶色の毛が顕わになった。
「彼は、妹の面倒をみていたんだ」
 そう呟くトムを尻目に、イアンはさっきのイギリス兵たちが去っていった方向を睨んだ。
「男とわかったから、俺たちに押し付けて喜んで逃げてったんだな」
「あいつらの服には血がついていた」
 トムが息を吸い込んで言った。
「誰かに見とがめられて、俺たちのせいにするかもしれない」
「そうだよ。 だから言ったんだ、こんなヤツに構うなって」
「手を貸せ。 早く」
 文句を聞かずに、トムは死体となった男を抱き起こすと、イアンに片方の肩を担がせ、自分ももう片方を担いで、二人の間に挟む格好にした。
「こうして運べば、酔いつぶれたように見えるだろう」
「カツラはどうする?」
「ほっとけ」
 それから二人は、ぐったりした遺体を運んでいるにしては記録的な速さで、その裏道を後にした。


 飛ぶように足を運びながら、イアンは尋ねた。
「どこへ行く?」
「ジャン・ミシェルに教えられたところだ」
「何だと!」
 あきれて、イアンは立ち止まりそうになった。
「こいつの指示通りに動いてるのか?」
「遺体の処理には一番いい」
 トムは落ち着いていた。
「妹を納得させれば、事故死で葬式が出せる」
「強盗の葬式?!」
「強盗してるなんて、近所の連中には知らせてないだろうが!」
 トムの声が、珍しく尖った。













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