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表紙

道しるべ  47 街角の事件



 狭くてやたら揺れる上に、ノアの箱舟並みに馬やら食料用の羊や豚、鶏などと同居していた船から逃れられて、兵士たちは浮かれていた。
 男爵は乗馬が大好きで、屋敷の奥には大きな厩舎が軒を連ねている。 そのうちの三棟と、南庭にある東屋が、臨時の兵舎として彼らに開放された。
 東屋はギリシャ風の柱を巡らせた美しい建物だが、壁が下半分しかなくて寒々しい。 兵士たちは馬屋を争い、トムとヒューはうまく長方形の建物の真中辺を取って、荷物を置いた。


 席取り騒ぎが一段落した後、ようやく街へ行く許可が出た。
 下働きの少年たちに場所の確保をさせておいて、トムとヒューも先を争って街へ繰り出す男たちに加わり、門を出た。
 町の住民はもともとフランス語を使うが、今はイギリス領になっている関係で、商店街では英語が通用する。 兵士たちは支給された金を手に、さっそく飲み屋を探し始めた。
 トムは、酒癖の悪い一団と別れ、別の道を行った。 石造りの建物の屋根越しに、大きな教会の鐘楼が見えたからだ。
 これからしばらく、嫌でも殺戮〔さつりく〕の渦に巻き込まれる。 こういう生き方を選んでしまったことを人のせいにする気はないが、せめてこの場で神に祈って、痛む心を少しでも安らかにしておきたかった。
 ヒューは空腹を満たしに行ってしまったので、トムは一人だった。 馬の蹄鉄と馬車の轍〔わだち〕で磨りへった石畳をたどりながら、トムはもう胸の中で祈りの言葉を唱えていた。
──神よ、弱いわたしをお許しください。 これから起きる戦いがご意志に沿うものかどうか、わたしにはわかりませんが、わたしに至らぬところがありましたら、罰を与えられても甘んじて受ける覚悟です。 たとえ死が待っていましょうとも…… ──
 不意に頭の中の言葉が途切れた。 トムの行く道には商店があまりなく、人通りが少ない。 そんな閑散とした道筋に、いきなり思いがけないものが現れたのだ。


 それは、白っぽい衣服をまとった女だった。 すらりと背が高く、驚くほど美しい顔立ちをしている。 顔色も髪の色も衣装と同じように青白く、雪が降れば景色に溶け込んでしまいそうにはかない感じだった。
 しかも、彼女はよろめいていた。 右へ左へ頼りなく揺れ、今にも倒れ伏してしまいそうだ。 よく見ると、服の袖が破れて落ちかけていた。
 トムは反射的に足を速めた。 そして、女が膝をつく寸前に手を伸ばし、軽々と抱き起こした。
「どうした? 誰かに襲われたのか?」
 英語で話しかけながらも、これでは通じないかもしれないと思ったその瞬間、後頭部にものすごい衝撃が走った。
 目から火花が出るとは、こういう状態を言うのかもしれない。 女を痙攣する手で掴んだまま、トムは体をぐらりとさせ、道に崩れていった。













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