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道しるべ
43 出発の朝に
イアンは頭が痛くなった。
初めて向かう戦いの前夜だ。 気持ちが不安定になるのはしかたがないが、それにしてもトムの様子は異様だった。 この辺で話を打ち切らないと、後にしこりが残るかもしれないほど。
「いいかトム、俺たちはこれから戦いに行くんだ。 魂の恋人を探しに行くわけじゃない。 だから今そんなことを言って何になる? 第一、異国にそんな女いるか?」
トムはゆっくり息を吸い込み、気持ちを落ち着かせようとした。
「そうだな……俺がいらついてるだけだ。 もう寝るか」
「そうしよう」
二人は頷き合い、粗末な上掛けを引っ張り上げ、石壁に差した松明〔たいまつ〕を点いたままにして、狭い寝台に横たわった。
熟睡できたのは、ほんの数時間だった。
まだ夜明けに程遠い午前五時に、もう外は騒がしくなり、イアンたちも小隊長のルイスに叩き起こされた。
派手な出陣式はなかった。 昨夜で騒ぐだけ騒いでしまったし、兵士たちは覚悟を決めて、おとなしく隊列を組んだ。
一方、騎士たちはわくわくしていた。 彼らは戦うために身分を貰っている。 戦はいわば存在証明で、更なる出世のチャンスだった。
やがてのろのろ日が昇っても、周囲はそんなに明るくならなかった。 暖気が忍び寄っていたらしく、早朝の館付近は霧に包まれていた。 濃くはなかったが、門から続々と吐き出されていく男たちの姿をうっすらと覆って影のように見せる効果はあった。
道の両側には、兵士たちの家族がずらりと並んで、通り過ぎる夫や父、兄弟に声をかけた。 中には人目もかまわず号泣する者や、離れ難くてしばらく並んで歩く者もいた。
門を出る前、イアンは館を振り返って眺めた。 ミルク色の霧で視野には限りがあったが、それでも何人かの女性が出てきて見送っているのがわかった。
その中には華やかなモード・デシュネルの顔もあった。 馬に乗って出て行くゴードン・カーと別れの挨拶を交わしているようだ。
五人ほどの貴婦人のかたまりに、もちろんイアンの母ウィニフレッドの姿はなかった。 だが、館でもっとも高い望楼を見上げると、何かがチラッと動いた。 イアンは目を凝らして、豆粒のような姿を見分けようとした。
やがてその人影から、波打つように薄い布が広がり、上空の風に流されてやわらかく渦巻いた。
婦人用のスカーフだ。 色は、ウィニフレッドの好きな淡い水色だった。
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