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道しるべ  42 心から探せ



 不意に片付ける気を無くしたように、トムは荒い毛織のタイツを床に放り出した。
「おまえはな、恋を知らないからそんなことが言えるんだよ。
 そういう気持ちは、おとなしくそこらへんに転がってるんじゃない。 空から落っこちてきて脳天を直撃するんだ!」
 日頃物静かな男が突然発した激しい言葉に、イアンは気を呑まれた。
 心が揺れたのを隠そうと、彼は寝台に起き上がって足を組んで座り、皮肉な表情を浮かべた。
「これは驚きだ。 坊主に恋愛の説教をされるとは」
「もと坊主だよ」
 トムは声の勢いを押さえようと努力していた。
「ともかく、自分の意志でどうにかできることじゃないんだ。 本気の恋なら振り回される。 絶対そうなる!」
「人によるだろ」
 イアンはすげなく言った。
「おれは情が薄いから……」
「薄いだって?」
 トムが膝を打って笑った。
「じゃなぜ俺を助けた? ニッキーやアルの面倒見がいいのはどういうわけだ?」
 彼の笑い声には、どこか凄みがあった。 イアンは別人のようなトムを見て、いくらか怖くなった。 こんなのはトムじゃない。 そう言えば今夜は目の下が黒ずみ、窪んでいるようにみえる。 そのせいで男らしい顔立ちが一段と精悍になり、新たな壁ができたようで近寄り難かった。
 イアンは軽い寒気を感じ、膝を引き寄せて腕に抱えた。
「じゃ、おまえは恋をした経験があるんだな? それだけ言い切れるなら」
 トムはふっと笑い止むと、腕を伸ばして、床に散らかした衣類を拾い集め出した。
「どうでもいいことだ」
「よくない。 人に説教するなら根拠を示せ」
「説教はしてないよ。 ただ、おまえが自分にかけた罠に落ちないように注意しただけだ」
「罠だって?」
「そうだ。 生き物は皆、恋に夢中になる。 猫は幾晩も徹夜するし、犬は綱を切って探しに行く。 馬も野生なら荒野を疾走して相手を求める。 それぐらい、本物の繁殖期は燃えるんだ」
 イアンは額を押さえて失笑した。
「おいおい、俺は盛りが来ない犬なのか?」
「無理をしてるってことだ」
「それはおまえだろう?」
 噂ひとつないトムにだけは言われたくない。 イアンはいらいらしてきた。
「少なくともおれは女を知ってるぞ。 おまえみたいに頭で理屈こねてるわけじゃない」
 袋に手回り品をきちんと詰め終わったトムは、薄く目を細めて友達を見返した。
「それが自慢か。 おまえは相手に合わせただけじゃないか。 自分からは探そうとも求めようともしない。 もう同性の友達との付き合いだけで満足できる年じゃないはずだ」













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