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道しるべ  40 婚約成って



 五分もしないうちに、上で何の騒ぎがあったのか、階下にも伝わってきた。
 それは、この屋敷の後継ぎゴードン・カーと、隣接する領主の一人娘モード・デシュネルとの、突然の婚約発表だった。


 今度の派兵は、いちおう三ヶ月の予定だが、相手のある戦争が予定通りに収まるあてはまったくない。 だから出発前に正式な約束をしておこうというのが、伯爵と男爵の腹の内らしかった。
 考えてみれば、似合いの二人だ。 モードのほうが一年近く年上だが、そのぐらい問題にはならない。
 一昨年あたりから、それまであまり話もしなかった彼らが急に接近し出したのは知られていたし、モードが町で浮かれていた去年にも、ゴードンは特に恋人を作らず、のんびりと趣味の彫金をしたり、馬の遠乗りを楽しんだりしていた。
 彼らが今日という日を待っていたとしたら、驚くに当たらない行動だった。 結婚という鎖に縛られる前に、モードが最後の羽根を伸ばして楽しみたいと思ったのなら。


 イアンはまだ騎士に叙せられたわけではないので、下で兵士仲間とわいわいやっていた。
 そこへ唐突な婚約の話だ。 寒風吹きさらす会場では、上と違って歓声は起こらず、むしろシュンとなってしまった。
 やがて、酔いが回って空元気の出たデイヴィー・ノリスが、やけっぱちの大声を張り上げた。
「なんということだ! 我らの女神が、北海の熊に生け捕られた!」
 この露骨な台詞はさすがにまずいと思ったらしく、友人のエイモスがあわててデイヴィーの口をふさぎ、誰にともなく言い訳した。
「ぐでんぐでんなんだよ。 自分が何言ってるのかわからないんだ」
 友の手をうるさそうに外して、デイヴィーは更に怒鳴った。
「なんだおまえ、かっこつけるんじゃないよ! みんな思ってることだろう? レディ・モードは憧れだった。 この辺りだけじゃない。 ヨークシャー一帯に鳴りとどろいた美女なんだぞ」
「だから何だ」
 イアンが面倒くさそうに言った。
「いくら憧れたって、相手は貴族のお嬢様だ。 手の届く相手じゃない。 むしろ、この館の奥方になったら、毎日姿を見られるじゃないか」
「まだ望みはあったんだぞ」
 デイヴィーは恥も外聞もなくわめき散らした。
「戦に行って手柄を立てれば、騎士になれる。 その上、うまく戦利品を手に入れたら、領地だって買えるかもしれん。 あと一年、せめて半年、相手を決めるのを待ってくれたら……」
「彼女がおまえを選ぶというその思い込みは、いったいどこから来たんだ?」
 たまりかねた様子で、クリフが横から口を入れた。 みんな修業中の仲間だが、モードのことではライバルでもあった。













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