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道しるべ
35 イアンの友
ペストの流行はようやく下火になり、不順だった天候もだいぶよくなってきた。
空と歩調を合わせるように、トムの落ち込みもゆっくりと回復していた。 まだ去年ほど明るくないし、声を立てて笑うことも少なかったが、もう話しかけてもぼんやりして答えを忘れるような態度は見せなくなった。
だから、イアンも安心して冗談が言えるようになった。
まだ十九の若年ながら、クリントに信頼されて交渉係を任せられているイアンは、行く先々で一目置かれて酒を振舞われたり、大事な馬を連れていかれないようにワイロを渡されたりした。
そんなとき、傍に無口で大きなトムがいるのは大助かりだった。 トムが酒嫌いだから、勧められても口実にして断れるし、馬の良し悪しはトムに訊けと言われるほどの目ききなので、ワイロを受け取って見逃したふりをして、同じぐらい優秀な他の馬を見つけ出して安く譲ってもらうことができた。
このやり方なら、郷士は好きな馬を残せる。 そしてイアンは郷士のメンツをつぶさずに、仲間や部下におごる金が手に入る。 その上、領主は郷士を怒らせずに良い馬を獲得できる。 みんな満足で、まさに一石三鳥だった。
初冬の日差しはずいぶん弱くなった。
枯れかけた草を踏んで低い丘を真っ先に駆け上ると、イアンは縁の反った帽子を軽く持ち上げて雲の流れを確かめ、雨が降りそうにないのでホッとして、満足げにトムとローアンが追いついてくるのを待った。
ローアンは城から城へ渡り歩く吟遊詩人の子だった。 イングランドではそれほど盛んな職業ではないが、ローアンの父は大陸育ちで抜群に歌を作る才能が優れ、こちらでも各地で引っ張りだこだった。
父子は技量を高く売って、いい暮らしをしていた。 だが、たまたまワイツヴィルの館に来ていたとき、父の吟遊詩人グレゴワール・ダムルーズ、本名グレゴワール・ヴェルジェは突然の脳出血発作で死んでしまった。
まだ十代初めだったローアンの面倒を見たのは、トムだった。 トムは困っている者を放っておけない。 特に弱いもの、傷ついた生き物には、優しくしないではいられないらしい。 あまり気立てがいいので、優秀な兵士にはなれないのではないかと、初めは思われていたぐらいだ。
だが、それは周囲の勘違いだった。 トムの優しさは、敵には別の形で発揮される。 長弓の名手トムは、殺さなければ味方がやられる、という時には、ためらいなく相手に命中させることができた。
ただ、その際には確実に、一矢で即死させることを最大の目標とした。
つまり、長く苦しめるのが嫌だったのだ。
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