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道しるべ  29 異母弟の声


 日が落ちる頃、イアンはようやくワイツヴィルの館に戻ってきた。
 モードは強引だが、ケチではない。 護衛の謝礼として、銀貨の他にうまい酒入りの壷と蜂蜜菓子をくれた。 量は大したことないから、親友のトムとだけ分けるつもりで、落とさないよう気をつけながら馬からすべり下りた。
 そのとき、背後でかすかな衣擦〔きぬず〕れの音がした。 仲間なら声をかけるはずだ。 無言で忍び寄ったりはしない。
 元密猟者の自衛本能で、イアンは素知らぬ様子を装いつつ、そっと片手を腰にすべらせて短剣の柄を握った。
 すると、低い声が耳を打った。
「しらっとした顔してるな。 もっと嬉しそうに戻ってくるかと思った」


 用心したまま、イアンはゆっくり振り返った。
 日は落ちても、まだ光は残っていた。 だから、足を広げ、腕を組んで陰気な目を光らせているヴィクター・カーの姿は、はっきりと見えた。
 ヴィクターが直接話しかけてきたのは、イアンがこの館に来てから初めてのことだった。 異例の事態だ。 イアンは緊張を見せないようにしながら、平静を装って答えた。
「送り届けて帰ってきただけです」
「当然だ」
 あざ笑うように、ヴィクターは口元だけを歪めて笑った。 まだ十六歳になっていないはずだが、妙に老成した暗さが感じられた。
「シェフィールドで貴婦人たちに花を投げられたという美男の伯爵に、鼻も引っかけなかったモードだからな。 バスタード(非嫡出子)なんかに本気になるわけない。 おまえはからかわれただけさ」
 イアンは軽く眉を吊り上げた。 陰険なガキにこの程度の憎まれ口を叩かれたところで、蚊に刺されたほどにも感じなかった。
 むしろ、ヴィクターが居たたまれずに、これまで無視していた異母兄を牽制〔けんせい〕しに来たのが興味深かった。 イアンがモードにちょっかいを出されたのが、そんなに気になったのか。
 イアンが余裕の態度なので、ヴィクターの表情は一段と暗くなった。
「どうした。 まさか調子に乗って夢を見ているわけじゃないな? 父上がおまえの母親を寵愛〔ちょうあい〕しているからって、おまえが大事にされてるわけじゃない」
 イアンの筋肉が、少し硬くなった。 おっとりしていてまっすぐで、ずるいところのない母は、今でも彼の心にあって、唯一の弱点だった。
 話している間に夕べの光はどんどん褪せていき、正門の柱にたいまつが掲げられた。
 ヴィクターは足を踏み替え、イアンの目を覗き込んだ。
「その証拠に、いいものを見せてやろう。 どうだ、これから僕と二人で出かける度胸はあるか?」











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