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表紙

道しるべ  22 落ち込む男


 トムの疲れてぼんやりした顔を見ているうちに、イアンまでいらついてきた。
「おい、飲まないなら貸せ」
 トムは驚いた様子で顔を上げ、集中力を取り戻そうとしてまばたきした。
「え? ああ、いいよ。 おまえ飲むか?」
「そうさせてもらう」
 ぐいっと豪快に飲み干した後、イアンは気遣わしげに親友を見つめた。
「おまえ最近気が散ってるな。 何かあったのか?」
 トムの視線が脇にそれた。
「ないよ、別に」
「だったらシャンとしろよ。 おまえが静かなのはわかってる。 他の連中みたいに馬鹿騒ぎしなくても気にならないさ。
 だがこのところ、無口を通り越して陰気じゃないか。 胸が凹んで、いつも首が垂れてる。 せっかくの男前が台無しだ」
「誰が男前だって?」
 自嘲するように、トムはうっすらと笑いを浮かべた。
「大した顔じゃないよ、こんなの。 それに、見てくれがちょっとぐらい良くても何もならない。 俺はただの下っ端兵士だ。 石ころや土くれと同じようなもんなのさ」
 おいおい……。
 イアンはだんだん心配になってきた。 トムは確かに穏やかな性格だが、いつもは悲観的ではない。 むしろ人をなぐさめ、励ますタイプで、大きな優しい兄貴として特に子供たちに人気があった。
 当惑して、髯の生えかけた顎を撫でながら、イアンは雲に半ば覆われた空に目をやった。
「仲間にいじめられたか、それとも上役にいびられたのか? 二、三年前ならともかく、今のデカいおまえにちょっかいを出す奴がいるとは思えないが」
「ああ、そんな者はいない」
 口の中でもごもご答えると、トムはだるそうな足取りで遠ざかっていった。


 イアンは少しの間トムの後姿に目を留めていた。
 こんなトムは見たことがない。 本気で心配になってきた。 これほど元気がないのは、重病の前触れではないだろうか。 コレラとか、ペストとか。
 しかし、長く不安にひたる暇はなかった。 クリントが西塔を降りてきて、中庭で談笑していた騎士見習たちに号令をかけた。
「これから乗馬訓練をする! 知っているだろうが、馬の数には限りがある。 演習に加わりたければ、とっとと尻を持ち上げて走れ!」
 若い見習たちは一斉に向きを替え、奥の馬屋目指して我先に駆け出した。




 新米兵士は、騎士や見習たちの下働きも引き受ける。
 一番いい馬をうまくせしめたイアンが、訓練でもトップを取って意気揚々と戻ってくると、トムが待ちかまえていて、馬の世話を手伝ってくれた。
 共同で鞍を外してせっせと汗を拭き、毛布をかけて水と飼い葉をあてがう。 二人の息はぴたりと合って、他の仲間より常に早く、しかも上出来だった。
 馬と武具の手入れが終わると、二人は連れ立って、兵舎の外れにある食堂に向かった。 間もなく夕食の時間で、長方形の飾り気ない食堂部屋の窓から灯りが漏れ、袖をたくしあげた男女が忙しく料理を運んでいるのが見えた。
 暗さを増した中庭をゆっくり横切りながら、イアンは懐から小さな袋を引っ張り出し、中の硬貨を無造作に数枚掴んだ。
「さっき貰った賞金だ。 山分けにしようぜ」
 すると、トムはいつものようにためらった。
「俺は何もしてない」
「いいから貯めとけよ。 おまえが持ってれば安心だ。 そのうち、自分の馬を買うのに借りるかもしれないし」
 これもいつもの説得だった。 トムは仕方なく頷き、儀式のように銀貨を受け取った。
 それから二人は肩を組んで、ぶらぶらと食堂の入り口をくぐった。














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