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表紙

道しるべ  8 貴婦人の死


 五日後の朝、時ならぬ弔鐘〔ちょうしょう〕が野を渡り、丘を越えて流れてきた。
 早くから畑仕事をしていた農民たちは、手を止めて聞き入り、鐘音を数えた。
 村外れにあるイアンたちの小屋にも、暗い響きは伝わってきた。 そのとき、二人はささやかな朝食を食べ終わり、ウィニフレッドはつくろい物、イアンはナイフ磨きをしていた。
 鐘が鳴り終わると、二人はゆっくり顔を見合わせた。 わざわざ弔鐘を撞くのは、重要人物が死んだときに限られる。 しかもこの場合は、数からして女性とわかるから……。
「イザベル様ね」
 やがてウィニフレッドが呟いた。 それはイアンも考えていたことだった。
 イザベル・マリアン・カー。 それはこの地の領主ワイツヴィル伯の奥方だ。 彼女は数年前から体を壊し、寝たり起きたりの生活を送っていた。


「これからどうなるかしら」
 しばらく黙っていてから、ウィニフレッドはまた独り言のように囁いた。 イアンもまったく同じことを考えていたが、話し合いたくなくて、わざと話題を変えた。
「ランガースさん家で宴会をやったんで、豚をつぶしたそうだ。 二クラウン出せば肩肉を分けてくれるって」
「安いわね。 もらってきて」
 そう言う声がどこか上の空なのを、イアンは聞きもらさなかった。 母も不安になっている。 それが将来への期待交じりなのか、他の感情なのかまではわからなかったが。
 母はゆっくり立ち上がり、壁穴から銀貨を出して、イアンに手渡した。 この季節だから、生肉はすぐ痛む。 しっかり塩漬けにしてあればいいが、そうでなければ値切るか断るかどちらにしよう。 久しぶりにご馳走が食べたいイアンは、まだ現物を見る前から気を回して悩んだ。


 幸いなことに、ランガースの奥さんはしっかり者で、肉の塊にがっちりと塩を叩き込んだ上、涼しい地下室に保管していた。
 イアンは、少しの間、家の裏手で待たされた。 二段腹のランガース氏はお人よしで、酒飲み仲間に肉をただで土産に持たせてやるつもりらしい。 でも、しまり屋の奥さんは夫の目を盗んで小分けにして売り、見つかりそうになったら、旦那が猫かわいがりしている犬のジョナサンが盗み食いしたことにするつもりだった。
 働き者の奥さんは、母を大事にしているイアンがお気に入りだ。 それで他の買主の半値で分けてくれた。 その代わり、人目を忍ぶわけで、半時間以上待機させられたあげく、帽子の中へ直〔じか〕に肉を押し込まれた。
「いい? 村を通っていくとき誰にも見つからないようにするのよ。 わかった?」
 何度も念を押されて、それでも新鮮な肉を買う仲間に入れてもらえたのが嬉しく、イアンは笑顔で別れを告げた。


 自然に足が軽くなった。 森が近くなってからは走った。
 だが、小屋が見える前に異変に気づいた。 表の道は乾燥しているが、日陰では地面に湿り気が残っているところがある。 そこに、普段はあるはずのない物が残っていた。
 いくつもの乱れた蹄の跡だった。








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