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広い食事室では、壁の隅々に煌々と松明が灯り、枝分かれ燭台がずらりと並んで、食卓を照らしていた。
哀しげな顔をした吟遊詩人が恋の唄を朗々と歌った後、緑の帽子に赤い房をつけた道化が飛び出してきて、卑猥な小話で人々の笑いを誘った。
今なら賑やかで、去っても目立たない。 猪肉の玉葱添えを食べ終わって、ワインを飲み干すと、マリアンネはそっと立ち上がり、食堂を後にした。
向かった先は、アガーテが仲良しの料理番と気楽な夕食を楽しみ、ブランデーを酌み交わしている台所だった。
マリアンネが入口から覗くと、すぐアガーテが椅子から立ってきた。
「もうお食事は済みましたか?」
「ええ」
マリアンネは声を潜めた。
「明日はエドムント様が戻ってくるでしょうから、その前に牢へ行ってヨアヒムの様子を見てくるわ」
とたんに、アガーテは渋面になった。 彼女はいくらか心臓が悪いらしく、地下まで延々と階段を上り下りするのが我慢できないのだ。
それが、マリアンネの狙いだった。
「心配しないで。 ダグマー達は牢が怖いらしいし、あなたは疲れたでしょう。 ベルントについていってもらいます」
明らかに、アガーテはほっとした。
これで、しばらくはアガーテの監視の目から逃れられる。 マリアンネは、その手に優しく触れて安心させてから、確か食事室で吟遊詩人のリュートに聞きほれていたはずのベルントを探しに行った。
ヨアヒムは元気だった。 ただし運動不足で、檻に入れられた熊のように、せわしなく牢の中を歩き回っていた。
ベルントの先導で降りてきたマリアンネを見ると、番兵はすぐ牢の戸を開けた。 前日のやりとりで懲りたらしい。
マリアンネが入ってきたのを見て、ヨアヒムは動きを止め、目を光らせた。
「何か起きましたか、奥方様?」
「いえ、粗末な扱いを受けていないか見に来たのです」
マリアンネはベルントに松明を上げさせ、全身に灯りを浴びたヨアヒムがいつもと変わりないのを確認した。
眩しげに目を細めながら、ヨアヒムが言った。
「奥方様の警護ができなくて申し訳ありません。 人手は足りていますか?」
ディルクの無事を知りたいのだ。 そう悟って、マリアンネはてきぱきと答えた。
「ロタールをブライデンバッハに行かせました。 あなたの捕まった状況を調べるために。
でも、まだディルクが残っているから、私は大丈夫です」
ヨアヒムの視線がやわらいだ。
「あいつは頑固で忠実ですからね」
「あなたも相当頑固ですよ」
一矢報いておいて、マリアンネは懐からワインの壷と、ヨアヒムの好きなクルミ入り菓子を出した。 どちらもさっき食事室で取り分けておいたものだ。 まさかとは思うが、夜のうちに毒殺されるのを防ぐためだった。
「これで機嫌を直しておいて。 明日にはエドムント様がお帰りで、すべて丸く収まるでしょう」
「お気遣い有難うございます」
低い、面白がっているような口調で、ヨアヒムが答えた。
こうして、アリバイ作りは終わった。
一階の階段を上り終わってすぐ、マリアンネはベルントと別れた。 それから、人けがないのを確かめ、裏庭に続く扉をあけて戸外に出た。
夏の最中だが、庭には夜風が吹きぬけていて、肌寒いほどだった。 空に青白い上弦の月がかかり、淡い光が行く手を照らしている。 マリアンネは、轟く胸を片手で押さえ、庭の端にある礼拝堂の外壁を伝うようにして、庭の最奥へと入っていった。
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