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彼じゃない……!
ヨアヒムの体は、わずかに麝香の匂いがした。 それはそれで好ましいのだが、マリアンネの想い人とはまったく異なっていた。
つまらなそうに、隊長と部下たちは先に立って、汚れた牢獄を出ていった。 一人だけが残って、鉄籠で燃える火を消している。 その男が少し離れたところでこっちに背を向けているのを見届けてから、マリアンネはほとんど口を動かさずに、鋭くヨアヒムに囁きかけた。
「あなたは緑の騎士じゃない」
すると、ヨアヒムの整った口元に、薄い笑いが浮かんだ。 ごく低い声が、頭の上から降りてきた。
「万事うまく行くんだよ、俺ってことにしておけば」
マリアンネの眼が、激しく動いた。
――この人は、誰かを庇っている。 身代わりになろうとしている!――
不意に胸が感動に押しつぶされそうになった。 いつも呑気で、一言多く、ちゃっかりしているとさえ思っていたヨアヒムが、こんな自己犠牲を払うなんて……。
やみくもに顔を上げると、マリアンネはヨアヒムだけに聞こえるように釘を刺した。
「もう自分が緑の騎士だなんて言わないこと。 二度と認めないで。 わかった?」
ヨアヒムの微笑が本物になった。 マリアンネを見下ろす目に、優しげな影が生まれた。
「急に奥方風を吹かせるようになったな」
「何でも吹かせるわよ。 昔からの仲間を救うためなら」
「わかったよ。 おとなしくして、君の出方を見よう。 あまり当てにはできないけどな」
胸を大きく轟かせながら、マリアンネは牢の出口で小さくなっている侍女たちと合流し、階段を上った。 あまりにも心が焦って、途中から小走りになっていることに気付かなかった。
ニつ階段を駆け上がったところで、アガーテが心臓付近に手を当てて苦情を言った。
「気が遠くなりそうです。 お願いですからもう少しゆっくり」
はっとして、マリアンネは足を緩めた。 惑乱して平常心を失いかけていることに、アガーテの言葉で気付いた。
深く呼吸してから薄暗い階段に目を配ると、マリアンネは名を呼んだ。
「ダクマー」
最後尾にいたダクマーは早足で段を上がって、マリアンネに並んだ。
「はい、奥方様」
「ロタールを知っているわね?」
「はい、もちろんです」
「見つけて、私の部屋まで来てもらって」
「はい、ただいま」
ダグマーは真剣な面持ちで階段を登り切り、廊下を大急ぎで歩いていった。
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