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表紙

緑の騎士 -43-
 そのうち、座りつづけで腰が痛くなってきた。 マリアンネは刺繍を横の小テーブルに置き、ゆっくり立ち上がって窓に向かった。
 縁に銀線入りのガラスから中庭を見下ろすと、揃いの箱馬車が二台止まっているのがわかった。 使用人が数人、忙しく動き回って、がっしりとした馬を次々と馬車に繋いでいた。
 祝宴の客達のうち、近隣の住人なら午前中に帰っただろう。 あの立派な箱馬車二台の持ち主は、きっと遠方から来ているのだ。
 私も旅をしてみたい、と、マリアンネは切実に願った。 ほんの子供の頃、イングランドの羊毛を使ってアントウェルペンで織られた客間用の絨毯を、父がラインの河口まで受け取りに行ったことがある。 そのときただ一度、父はマリアンネも馬車に乗せて連れていってくれた。
 初めて目にした巨大な海は、本当に印象的だった。 その日は北から嵐が近付いていて、灰色狼のような高波が、水面に荒々しく盛り上がっては低くなっていった。
 ああ、大好きだった父……。 無邪気に楽しかった幼児の時分を思い出すと、目の中が湿ってきた。 マリアンネは激しく瞬きして、睫毛に宿った水滴を弾き飛ばした。 だが、もう遅かった。 父の死で涙が枯れるまで泣いた夜を、思い出してしまった。


 下の馬車に、茶色の縞のダブレット(=ぴったりした上着)とお揃いの茶色の帽子をベージュのマントと共に身につけた男性が乗り込んだ。 後ろの馬車には、晴れ着を地味な旅行着に換えた三人の女性がゆっくりと乗っていく。 やがてもう一人の男性が駆けてきて、青いマントをひるがえしながら前の馬車に飛び乗った。
 その男は、紺色のホーズ(=タイツ)に白っぽいブリーチスをまとっていた。 すらっとした体つきで、跳ねるような走り方だった。 まだ非常に若い。 斜め上から見下ろしても、十代半ばの艶々した肌が髭のない顔を覆っているのがわかった。


 ふと気付くと、隣りにアガーテが立っていた。
 動き出した中庭の馬車をマリアンネ同様にじっと見つめたまま、アガーテは低く言った。
「あれは隣国グートシュタインのご親戚だそうですよ」
 このギュンツブルクの継承権を持つ一族だ。 暗くなる前に領地へ戻りたいのだろうが、それにしても気になる大急ぎの出発ぶりだった。










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