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表紙

緑の騎士 -38-
 一時間後、マリアンネはすっかり清潔になり、髪も乾き、アガーテが持ってきてくれたケーキとホットミルクを旺盛な食欲で頬ばっていた。
 侍女たちは、アガーテを含めて腫れ物にさわるように気を遣っていた。 だが、マリアンネ自身には誘拐された恐怖などない。 殴った夫は幸いコブだけですんだし、昨夜はただ、恋人と過ごした激しくも切ない記憶があるだけなので、充分に好物を楽しんで食べた。
 その間にアガーテは、あちこちで耳をそばだてて聞きこんだ情報を話してくれた。
「伯爵様は、昨夜の騒ぎをグートシュタイン国の陰謀とみているようですよ」
「グートシュタイン?」
 驚いて、マリアンネは銅のコップから顔を上げた。 グートシュタイン伯領とは、ヤーコブの統治するブライデンバッハ領と、ここギュンツブルク国の両方に接している南側の小国だ。
 アガーテは侍女の一人に合図して扉の外を見させ、盗み聞きされていないのを知って、声を普通の大きさに戻した。
「グートシュタイン伯爵家は、元を正せばギュンツブルクの分家です。 三代だか四代だか前の殿様が、二番目の息子に領地を分配したんだそうです。
 ですから、こちらの国に跡継ぎができなければ、親戚のグートシュタインに相続権が移ることになります」
 菓子の塊を飲み下して、マリアンネは目を見張った。
「だから花嫁を誘拐したって? でも私は、六年間子供を産まなかったマリア姫なのよ」
「それは姫ではなく、嫁ぎ先の殿様のせいです」
 大胆にも、アガーテは言い切った。
「だってですよ、コーエンのエメリッヒ様は、わかっているだけで愛人が両手両足で数え切れないほどいました。 なのに庶子は一人も生まれず。 たった一人もですよ」
 マリアンネはげんなりしてアガーテを見返した。 マリア姫が駆け落ちしたくなったわけが、更によくわかった。 夫の愛人が、少なくとも二十人以上とは……。
 スカートの皺を直して、アガーテは辛辣に言い放った。
「まあ、ここの殿様にしたって、前の奥方との間に全然お子ができなかったんですから、望みは薄いですけどね」
「で、もし隣国が誘拐したとして、私をどうするつもりだったのかしら?」
 マリアンネができるだけ無邪気に訊くと、さっそくアガーテは身を乗り出した。
「侍従のドナウアー卿が言ってるのを立ち聞きしたんですが、奥方様を消して、夫の伯爵様が殺したように見せかけるんじゃないかと」
 マリアンネの背筋にただならぬ悪寒が走った。 金のゴブレットに仕込まれた毒が、すぐにひらめいた。
「誘拐はともかく、殺そうという陰謀はあったかも」
 それから、マリアンネはアガーテに砒素のことを話した。
 たちまちアガーテの目が皿のようになった。
「まあ! それは聞き捨てなりません! お毒見用に猫を手に入れなくちゃ」
「落ち着いて、アガーテ。 料理に一人分だけ毒を入れるのは難しいし、今後お酒は銀の盃でだけ飲むようにするわ」
「何てことでしょう」
 アガーテは頭を抱えて呻いた。
「来た早々、こんな騒ぎになるなんて。 思えばこの結婚は、最初から呪われていたんでしょうかね」











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