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緑の騎士 -30-
 その声を聞いた瞬間、マリアンネの視野が煌〔きら〕めく光で一杯になった。 暗がりの夜道なのに、まるで空の星が降りてきたように目がちらついた。
 マリアンネが馬を止めると、緑の騎士も手綱を引いて止まり、不審げに尋ねた。
「どうした?」
 答えの代わりに、マリアンネは精一杯手を差し伸べて、緑の騎士に触れた。 彼もすぐマントの裾を払って、その手を握り返した。
「婚礼の席にいたのね?」
 小声で問うと、ややあって低い答えが戻ってきた。
「ああ、確かにいた」
 触れ合う指に力を入れて、マリアンネは更に訊いた。
「私が逃げたのをどうして?」
「わかったかって? 酒で頭が熱くなったのを冷やそうと、テラスに出たんだ。 そのとき、屋根を白い影がちらちらと走り過ぎるのが見えた。 だから追った」
 話しながら、緑の騎士は鞍の上で背伸びして、道よりなお暗い漆黒〔しっこく〕の森を見渡した。
「ここはスマラクトの森だ。 木が密生していて、少し奥に入ると火を焚いても目につかない。 馬を降りて行こう」
「わかった」


 しっかりと手を握り合ったまま、二人は森の中に分け入った。 遠くでフクロウの鳴き声が響き、足元では枯れ枝が踏みしだかれて、小さく音を立てた。
 とんでもないことをしでかした後なのに、マリアンネの胸は不安とは遠いもので一杯になっていた。 こんなに逢いたかったんだ、と、自分でも驚くほと、不規則にときめいていた。
 男は、闇の中を移動するのに慣れているようで、滑らかに動きながら前に突き出た小枝や蔦を払い、マリアンネと馬が通りやすいように道を作った。
 やがて、囁き声が尋ねた。
「なぜ逃げた? 伯爵が暴力を振るったのか?」
 とたんに自分のしでかしたことを思い出して、マリアンネの体に震えが走った。
「逆なの。 私が殴り倒しちゃって……」
 一瞬男の足が止まった。
「なに?」
「あの、今夜は一人でお寝みなさいと言われたのよ。 それがまさか、そっと忍んでくるなんて思う?」
 男はまた素早く歩き出したが、やがて体の振動がマリアンネに伝わってきた。 彼は、息を殺して笑っていた。


 五分は歩いただろうか。 わずかに視野が開けて、周囲より明るい空が灰色の盆のように頭上を覆う場所に来た。
 緑の騎士は、マントの奥から火打石と羊毛屑を出し、落ち葉を集めて火をつけた。 二人でせっせと枯れ枝をくべていると、すぐ暖かい橙色の炎が空き地をゆらゆらと照らした。
 それで、緑の騎士の全身が見えるようになった。 下半身は宴で着ていたらしい紺色のタイツの上にゆったりした白っぽいブリーチスを重ね、銀色のバックルで止めている。 その上は、ぶかぶかの長マントでくるまれて、まったくといっていいほど隠れていた。
 顔もまた、すっぽり覆った袋状の覆面で、口元さえ定かではなかった。 おまけに頭には、縁の垂れ下がった大きな帽子を深く被っていて、巨大なきのことしか思えない風体だった。
 焚き火の傍の倒木に腰を下ろすと、緑の騎士は話の続きを訊いた。
「殴り倒すとは穏やかじゃないな。 そういえば、宴会のときから緊張しているようだったが、何かあったか?」
 マリアンネは、じっと見つめていた彼の姿から急いで目を逸らし、ぼそぼそと説明を始めた。
「ワインの盃に毒が入っていたの」
「えっ?」
 さすがに驚いた様子で、仮面の下の眼が光った。
「毒だって?」
「そう、砒素らしいの。 私のゴブレットだけが金だから、念のため銀の指輪を入れたら、真っ黒になって」
「何という真似を」
 たきつけ用の枝を掴んだ男の手に力が入り、真ん中からボキッとへし折ってしまった。









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