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表紙

緑の騎士 -116-
 小さな寝台の横には、ダグマーが付き添っていて、マリアンネを見たとたん、すがりつくような表情で立ち上がった。
「奥方様」
「具合はどう?」
 声を落としてマリアンネが尋ねると、ダグマーはちらりとベッドに横たわったアガーテを眺め、目を閉じているのを確認してから、小さく首を横に振った。
「もう食事が喉を通りません。 今朝からは水も飲まなくなりました」
 マリアンネの心が暗くなった。 確かにアガーテはヤーコブの忠実な部下だったが、これまでマリアンネを陥れたことはなかった。
 ベッドに歩み寄ると、気配を感じたのか、アガーテが目を開いた。 そして、マリアンネを認め、かすかに微笑んだ。
「無事だったんですね。 よかった」
 マリアンネは、それまでダグマーが坐っていた椅子に腰かけ、力を失ったアガーテの手をそっと握った。
「戦いは終わったわ。 いま休戦の話し合いをしているところ」
「うまく行かないと思ったんですよ、初めから」
 アガーテの声に、意外にも怒りが混じった。
「でも私は、皆さんが子供の頃から知っていた。 ヤーコブ様と、かわいらしい二人の妹様たちを……もしヤーコブ様の計画が実れば、権力と影響力が手に入る。 マリア様たちも、私達侍女も部下も、栄華を尽くせる。 そう思ったんです」
「ええ、でもヤーコブ様は……」
 こんな病状のときに衝撃を与えていいかどうか、マリアンネは迷った。
 そのとき、アガーテの目に影が宿った。
「亡くなられたんでしょう? わかりましたよ。 休戦協定を結んでいると聞いたとき、すぐ。
 ヤーコブ様の野心は燃えるようだった。 一つの作戦が失敗したからといって、諦めるような方ではありませんから」
 マリアンネに握られたアガーテの指に、力が入った。
「いいですか? 貴方はマリア姫。 それを忘れずに」


 マリアンネは、ぎくっとした。 当惑で頬が引きつった。
「えっ?」
「ヤーコブ様にではなく、天に与えられた使命と思ってください。 ブライデンバッハには沢山の領民が暮らしています。 うちの家族も、あそこにずっと住みついているのです。
 アスペルマイヤーの血族は、今やあなた一人。 ブライデンバッハを護ってください。 しっかりした貴方なら、やり通せるはずです」
 固く握っていた指から、力が抜けていった。 それでもなお、アガーテは呟き続けた。
「ブライデンバッハを……私の子供たちを責めないでやって。 私のしたことで責任を取らせないで。 お願い」
「安心して」
 マリアンネはアガーテの耳に口を寄せて、他の侍女に聞こえないように囁いた。
「あなた達の陰謀は、闇に葬るわ。 留守家族に罪を着せるようなことはしません」
「……ありがとう、あなたは昔から優しかった。 約束を守ってくれると信じます」
 筋肉が静かに緩んだ。 目を半ば開いたまま、アガーテは動かなくなった。




 戦死した将兵と共に、アガーテの遺体も神父の冥福の祈りを受けて、棺に納められた。
 生き残った二人の侍女、ダグマーとイーナは、ほとんど何も知らされておらず、マリアンネをマリア姫と信じていて、何の危険もなかった。
 二人がマリアンネの監督の元、アガーテの残した物を整理していたとき、小姓のベルントが来て、エドムントがマリアンネを呼んでいると告げた。
 マリアンネは背筋を伸ばし、ダグマーを連れて自室を出た。 いよいよ、未来が決まるときが来たのだ。








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