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床板を開け、ボロ布を巻いて動かないように詰めてある品々を点検した後、マリアンネはホッと息をついて、一つだけあるガタガタの古椅子に座りこんだ。
今夜はここに泊まって、明日の朝早く出発しよう。 こんな大げさな服では遠くまで行けないから、途中の農家で盗むしかない。 替わりにペーニヒ銀貨を残していけば、恨まれることはないだろう。
マリアンネは、とりあえず北の国境を目指すつもりだった。 本当は東南にあるサント・マルガレーテ修道院に入りたかったが、ヤーコブに知られているから、すぐわかって連れ戻されそうだ。 北のヘッセン方伯領にはどんな尼僧院があったか、マリアンネは一生懸命思い出そうとした。
そのうち、おなかが空いてきた。 黒すぐりの実が生っている場所を知っていたが、夕闇が迫っていて、もう出歩くのは危険だ。 マリアンネは、ペルレ川で水を飲んで食欲をごまかすことにした。
潅木の茂みを回っていくと、頭上の梢の右側が赤く染まっているのが見えた。 夕焼けの輝きだった。
見上げながら歩いていくうち、逃げることに夢中で忘れていた寂しさが、じんわりと胸に広がった。
十歳で父を失った直後、先代城主はマリアンネを城に引き取った。 残された土地と財産は、城主が管理して、マリアンネが結婚するとき持参金として渡されるはずになっていた。 それほど大した金額ではないが。
あれから十ニ年が過ぎた。 あの城で、これまでの人生のほぼ半分を過ごしたことになる。 それだけ思い出の数も山のようにあった。
たまたま、城には女の子が少なかった。 だから自然に、男の子と遊ぶようになった。 最初の二年間は 幼なじみの三人組に時々マリアを交えて、よくこのヒンシェの森へ遊びに来たものだ。
もうあの頃の親しみは消えてしまったんだなあ、とマリアンネはしみじみ思いにふけった。 三人組は友達に戻ろうとはしない。 ディルクにも断わられてしまった…… そうなることを望んでいたものの、はっきり拒否されると心は微妙に揺れ動いた。
一陣の風が頭上の葉を飛ばし、マリアンネの額に吹き当てた。 乾いた感触で、マリアンネはすぐ、思い出から現実に引き戻された。
尼僧院に入れば、現世とはお別れだ。 感傷にひたっている暇はない。
気分転換に、マリアンネは少し運動をすることにした。 歩きながら手頃な横枝を見つけ、飛びついて懸垂を始めた。 子供の頃は七回できたが、大人になって体が重くなってからは五回が最高だ。 鍛え直して、また七回できるようにしたかった。
昼の間、森で聞こえる音は、時折り吹く風と枝のそよぎ、たまに響く鳥の声ぐらいだった。
闇が広がると、物音はむしろ増えていった。 夜行性の動物が動き出したからだ。
藪がこすれて、ざわざわと振動が伝わった。 大きな生き物が、藪を掻き分けて移動していくのだ。 たぶん、鹿だろう。
はるか彼方で、狼の高い遠吠えが木霊〔こだま〕した。
マリアンネは、マントにくるまって道具箱に坐っていた。 もちろん、灯りは点けない。 一晩中礼拝堂に篭もると言っておいたから、まだヤーコブは逃亡に気付いていないだろうが、用心に越したことはなかった。
明日は早く起きるんだから、もう寝よう。 ゆっくりと体を起こし、箱に上って丸くなろうとしたそのとき、外で思いがけない音がした。
馬が歩いてくる。 地面を踏む音が硬いのは、蹄鉄をつけている証拠だ。 耳をそばだてると、ブルルッという小さな鼻息が聞こえた。
続いてかすかな囁きを、マリアンネは敏感に聞き取った。
「静かに。 すぐ小屋に入れてやるからな」
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