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緑の騎士 -108-
 再びヤーコブの平手が壁を打った。
「殺しておくべきだった。 あんな堅物、よけいな知恵は回るまいと思ったが、見る目がなかった。 マルシュナー館で、マリアンネと仲よく丸焼けにしてやればよかった!」
 歯噛みしながら、ヤーコブは唸り声を上げた。
「オットー!」
「はい」
 付き従っていた近習〔きんじゅう〕の一人が、主君に寄った。
「礼拝堂へ行き、マリアが目覚めたのを確かめてこい。 意識が戻っていたら、マントで覆って奥の部屋へ連れていけ。 どうしてもわたしの命令がきけないなら、死ぬまであそこから出さないと言ってやれ」
「かしこまりました」
 オットーは階段を下っていき、ヤーコブは残りの部下を連れて上へ登った。


 鎧を脱ぎ捨てて、ゆったりしたワイン色のチュニックに着替えた後、ヤーコブは戸棚からブランデーを出させて、乱暴にあおった。 酒が喉を通り過ぎる間、こめかみの血管が浮き上がり、細かく痙攣した。
「馬鹿な女どもだ。 わたしに従えば領土は三倍以上に広がり、贅沢三昧の暮らしと三国一の花婿を手に入れられたものを」
 吐き捨てるように言ったとき、慌しい靴音が廊下を打ち、扉が開くやいなやオットーが飛び込んできた。
「一大事です! 棺は空っぽで、マリア様はどこにも見つかりません!」
 ヤーコブの額に青筋が立った。
 ゴブレットを絨毯に叩きつけると、ヤーコブはオットーに詰め寄った。
「ヘルルーガは? 見張りは何をしていたんだ!」
「あの婆さんはぐるぐる巻きにされて、床に転がっていました」
 オットーは情けなさそうに報告した。
「若い男が二人で、マリア姫を連れ去ったそうです。 秘密の通路から侵入したと言っていたそうで」
 ヤーコブの顔に、驚愕の表情がひらめいた。
「まさか……いや、もしかすると、教えたのはマリアか……!」
 青ざめていた顔色が、一気に赤らんだ。
「くそっ、まだ間に合うかもしれん。 森へ行け! フィンクの小道の周囲を探すんだ!」
「いえ、殿、行く先はわかっています」
「なんだと?」
「ヘルルーガの婆さんは、見かけと違って耳がいいんです。 男達の内緒話が聞き取れたそうで、なんでもメギーンとかレギーンとかの家へ行くと」
「よし」
 いくらかヤーコブの表情が静まった。
「この辺りの住居に詳しい者はいるか?」
「ヴィルヘルム・ロッシュなら。 父親が行商人をしていますから」
「よし、探して呼んでこい。 今すぐだ」
「はい!」
 オットーが再び部屋を後にすると、ヤーコブは銀のゴブレットを蹴って暖炉に入れ、新しい物を棚から取りながら、部下たちに命じた。
「おまえたちも飲み食いしたいだろう。 もう下がっていい」
 近習たちはほっとした様子で、頭を下げてから次々と部屋を出ていった。
 扉が、鈍い音を立てて閉ざされた。


 一人になったヤーコブは、盃を手にしたまま、高価な板ガラスを嵌めこんだ窓に近寄った。
 表の城壁には、敵の逆襲を警戒して、見張りが列をなしている。 前庭に幾つも焚き火が燃え、炎の横で眠る兵士たちの姿が淡い影となっていた。
 酒で緊張がほぐれ、頭が円滑に動き始めた。 ヤーコブは、ガラスに映る己の姿にぼんやり目を置き、これからの作戦を考えた。
 そのとき、背後の緞帳が、ゆっくりとめくれた。










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