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表紙

緑の騎士 -106-
 扉を少し押し開けて、ディルクが隙間から覗いた。
 礼拝室の壁に松明が二本燃えていた。 祭壇の前に黒っぽい棺が置かれ、傍のスツールに老女が一人坐っている。 膝に編み針と毛糸を置き、首をうなだれてこくりこくりと居眠りしていた。
 ディルクは、首を出して広い室内をくまなく眺め、他に誰もいないのを確認した。 それから、首に巻いていたマフラーを外し、ヨアヒムが腰に下げていたロープを受け取ると、そっと礼拝室に入って背後から老女の口にマフラーを巻きつけた。
 飛び起きた老女が振り回す両手を押さえ、あっという間に背中で縛ると、残った端で足首もぐるぐる巻きにし、手際よく祭壇の横に転がした。
 ディルクが見張りを片づけている間に、ヨアヒムも礼拝室に足を踏み入れ、何より先に棺を覗き込んだ。
 いつまでも見つめているヨアヒムに、ディルクがじれた。
「早く行こう」
「ちょっと待て」
 ヨアヒムの声がかすれた。
「胸が少し動いた」
「そんな馬鹿な」
「見てみろよ。 ほら、こっちへ来て覗いてみろ」
 仕方なく、ディルクは戻って、棺の中の青ざめた姿をいやいや眺めた。 小さい時からよく知っているマリアの遺骸を見るのは、気が進まなかった。
 そのとき、胸で組み合わされている指が、ピクッと動いた。
 あっけに取られて、ディルクは身を乗り出した。
「えっ?」
 ヨアヒムは喜色満面になり、ディルクの腕を捕らえて大きく揺すぶった。
「生きてるんだ! 薬で眠らされているだけなんだよ」
 その声に呼びさまされたように、マリアはぼんやり目を見開いた。


 二人の青年がまじまじと覗き込んでいても、マリアは少しも驚かなかった。 むしろ嬉しげに、そろそろと腕を伸ばした。
「ヨアヒム……ディルク……助けに来てくれたのね」
 すぐに、ディルクを押しのけるようにしてヨアヒムがマリアを抱き取り、棺から外に出した。 マリアは安らかな表情で、彼の胸に首をもたせかけた。
「ずっとヤーコブに閉じ込められていたのよ。 ハラルトに、つまりコーエンでの忠実な部下の一人に、あなたを呼びに行ってもらったのだけれど、彼は拷問にかけられて、私の隠れ場所を話してしまったの」
「ずっと? コーエンからブライデンバッハへ呼び返される途中で捕まったのか?」
「そう」
 マリアは目を閉じ、ぶるっと全身を震わせた。
「私はもう政略結婚は嫌だった。 コーエンで貰った宝石を元手に、好きな人と他所へ行きたかったの。 今でもまだ間に合うなら」
 ディルクの視線が、マリア姫からヨアヒムに移った。 ヨアヒムは固く唇を結び、手の血管が浮き上がるほどの強さで、床に足を下ろしたマリアを抱きしめていた。
 すっと肩の力を抜くと、ディルクは呟いた。
「なんだ、そういうことだったのか。 水くさいぞ、ヨアヒム。 全然気付かなかった」
「話してどうなる」
 まだかすれの取れきっていない声が返ってきた。
「叶うはずのない恋だったんだ。 だが、こうなったらもう絶対に諦めないぞ!」






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