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リネットの海  73


 まもなく署長が汗を拭きながら到着して、マーカスとリネットの調書を取った。 通訳したのは、スペイン語のうまいロルフだった。

 事情聴取は一時間ほどで終わった。
 部下の警官に取らせていたメモを点検して、洩れがないか確かめた後、署長は笑顔になって一同に話しかけた。 するとパーシー卿がすぐにうなずき、ロルフと共に立ち上がったため、リネットも反射的に腰を浮かせた。
 ロルフが屈みこんで囁いた。
「事件が早く解決したから署長はご機嫌でね、祝杯を上げに行こうって。 君はいいんだよ。 お父さんと積もる話があるだろう? また午後に会おうね」
「ええ、わかったわ」
 二人は微笑み交わし、小さく手を振っていったん別れた。


 人々が部屋を去って、父と子が残された。 リネットはマーカスの枕を直し、ヘッドの横に座って、そっと父の肩に額をつけた。
「どこも何ともなくて、よかったわ。 あいつらに殴られた?」
「いや。 平手で叩かれたことは数回あったが」
 リネットは、震える息を吸い込んだ。
「最低な人間たちね!」
 父の腕が、リネットの肩に回って引き寄せた。
「あまり感じなかった。 わたしも普段と違っていたから。 ぼんやりして、石のように無感覚だった」
 腕に力がこもって、ブルブルと震えた。
「家から届いた電報を開いたとき、全身の血が引いた。 もうクラリッサはいない。 どこにも存在しなくなった。 それが信じられなくて……」
「お父様」
 強く抱き返したリネットに、マーカスは子供のような口調で訴えた。
「彼女はわたしの支えだった。 背骨みたいなものだったんだ。 一年のほとんどを探検に費やしていても、家へ帰ればクラリッサがいて、工場をうまく動かし、家の中を治め、わたしの話を楽しそうに聞いてくれる。 だから何の心配もせず、自由に動けた。
 クラリッサがわたしに夢を描いていたのと同様に、わたしも彼女にすべての信頼と愛情を捧げていた。 それなのに、わたしは彼女を失ってしまった。 ちょっと前に家へ帰っていたのに、肝心なときに彼女のそばにいられず、死に目に遭うことさえかなわなかった!」
「お父様……」
 慰める言葉が見つからず、リネットはただ腕と眼に愛情を込めることしかできなかった。
 体も気持ちも弱ってしまったマーカスは、娘に寄りかかったまま、ぼんやりと続けた。
「だから、船のありかをしゃべらなかったんだ。 本当をいえば、宝なんかもうどうでもよかった。 あいつらがじれて、わたしを殺すのを待っていたんだ」
「お父様!」
「食事は、与えられなかったんじゃない。 わたしが食べるのを拒んだんだ。 それで、奴らは困って、次の手を考え、密かにお前を狙った」
 声が濁った。
「そうだ、まだわたしには娘がいた。 忘れていたわけじゃないが、おまえは芯の強い子だから、わたしがいなくなっても生きていけると思っていた」
「やめて!」
 叫びと共に涙が噴き出した。 リネットは、細くなった父の体を揺すぶり、必死で抱きついた。
「やめて。 お母様が最期に言い残したことを聞いて!」




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