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表紙

リネットの海  1



「じゃ、行ってくる」
 まるで隣町に出かけるように、この一言で父はパッと汽車や、船や、たまには気球に乗っていってしまう。
 そして、長い間いなくなる。
 ずいぶん経って、忘れたころに戻ってくるときはいつも、両手に抱えきれないほどお土産を持ち、玄関を開けっ放しにしてにぎやかに入ってくるのだった。
 とたんに、静かな家が別世界になった。 父の持ち帰る品は、匂いからして違う。 形も色も見慣れないものばかり。 助手や召使が半月以上かけて片づけ終わるまで、チェンバース家の一階は、様々な異国情緒に包まれるのが常だった。

 つまり、リネットの父マーカスは、探検家だった。 巨大なビール工場を持っていて資金に不自由しないのをいいことに、アジア、アフリカ、更には南アメリカまで足を伸ばして、遺跡や伝説などを調べ回っていた。
 若い頃は、母のクラリッサも何度か同行したという。 リネットが生まれたのは、セイロン(今のスリランカ)の首都コロンボだった。


 一年のうち数えるほどしか顔を見ることができなくとも、リネットは父が好きだった。 父の持ち帰る物は、いつも面白い。 マホガニーに細長く彫りつけた人の顔。 巨大な銅鑼〔どら〕。 これはディナーを知らせるために召使が叩く。 そして、きれいな羽根のついた小さな吹き矢。 これには、クラーレという猛毒を塗ってあるので絶対に触ってはいけないと言われていた。
 不思議なものを持ち帰ってくるその上に、帰りに立ち寄るロンドンのデパートでおもちゃや服をどっさり買いこんでくる父親――どんな子供でも夢中になっただろう。

 父の影響で、リネットは考古学や歴史に興味を持ち、様々な本を図書館で読んで、次第に詳しくなっていった。
 父も、そんな一人娘を可愛がり、リネットが十八になった最近には、今なにを探索しているか、いろいろと話してくれるようになった。
「今度は凄いんだよ。 スペインの沖で、まあ領海の外なんだが、ガレー船を見つけたんだ」
 たちまち、リネットは胸を躍らせた。 体も思わず前のめりになった。
「ガレー船? それって昔の戦艦でしょう? 漕ぎ手がずらっと船底に並んで、太鼓の合図でオールを漕ぐのね」
「そうだよ。 しかも、その船は、どうもブエナ・ビスタ号らしいんだ。 アメリカから金塊を積んでスペインへ届けに来た船だ」
「すごい!」
 リネットは興奮して、声がかすれてしまった。




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背景:トリスの市場
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