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リネットの海
69
アントンが乗った馬車が石畳の道を曲がって消えてゆくまで、残された三人は無言で見送った。 リネットはレースのハンカチを振ったが、シャンタルはせっかく引っ張り出した絹のハンカチで、眼を拭うのに忙しかった。
そろそろ八時に近く、人通りが増えかけていた。 狭い路地にも、ロバを引いた水売りがゆっくりと通りかかって、泣いているシャンタルを不思議そうに眺めて過ぎた。
母の肩を抱えるように、ダニエルは家の中に引き返した。 リネットが後をついていこうとしたとき、背後から呼ばれた。
「リン!」
振り向く前からわかった。 一つ大きく息をした後、リネットはくるっと体を回して、ハワードではなくロルフ・オグデンだと判明した青年と向き合った。
「おはよう」
しっかりした口調で、リネットは先手を打った。 ロルフは謎めいた微笑を口元に漂わせて、リネットをじっと見返していた。
「まだ怒ってる?」
「誰が?」
とぼけてみせた後、不意に我慢できなくなって、リネットは噴き出した。 そして、さっきのアントンを見習って両腕をさっと開き、ジャンプしてロルフの胸に飛びこんだ。
誰に見られたって構わなかった。 二人は大っぴらに抱き合い、夢中で頬ずりし合った。
「まだお礼を言ってなかったわ。 助けに来てくれてありがとう!」
「それなんだが」
ロルフの声が湿りを帯びた。
「もっと早く、君のいないことに気付くべきだった。 ナイフを振りかざすウィルキンソンが何度も夢に出てきて、昨夜はよく眠れなかった」
夜明けもわからないほど熟睡したリネットは、なんだか気が咎めた。
「そんなに自分を責めないで。 あなたのせいじゃないわ」
「いや、僕のせいだ!」
ロルフは声を大きくした。
「僕がハワードなんて名乗ったから、奴らは君を簡単におびき出せたんだ!」
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トリスの市場
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