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リネットの海  68


 葬儀と後継者のお披露目があるため、アントンはただちにベラトニアに戻らなければならなかった。
 それを聞いて、リネットも寂しい気持ちになった。
「スイスの近くなの? 大貴族になっちゃうなら、もう気軽に会えないわね」
「小っちゃな国だよ」
 ダニエルがふざけた口調で言った。
「面積がロンドンと同じぐらいしかないんだ」
「それでも独立国だ」
 アントンは胸を張った。 そして、リネットに顔を近づけてこっそり言い残した。
「カレとうまくいかなくなったら、すぐおいで。 大歓迎するよ」


 表には、手回しよく黒い箱馬車が止まっていた。 リネットはダニエルと玄関の前に並んで、ランコフが荷置き台にトランクを載せ、うやうやしく馬車の扉を開けてアントンに入るように促すのを見ていた。
 アントンは手を振って少し待つように合図し、医院のドアをじっと見つめていた。 やがて白い木のドアがパンと音を立てて開くと、中からシャンタル・ラディーンが飛び出してきた。

 アントンが両手を大きく広げ、母と息子は固く抱き合った。 化粧が崩れるのもかまわず、シャンタルはおいおいと泣いていた。
「私の大事な熊さん、元気でね。 水が変わるから気をつけるのよ。 手紙をちょうだいね。 約束よ!」
「書くとも。 いっぱい書くから、どうか泣かないで」
「式服の写真を入れて送って。 どんなに立派かしらねえ。 家族なのに出席できないなんて、身を切られる思いだわ」
 たまりかねて、ダニエルがシャンタルの肩を軽く叩いた。
「そんなに泣くなよ。 まだ俺がいるじゃないか」
 真っ赤になった眼を上げて、シャンタルは呟いた。
「あんたが行ってしまうときも、おんなじに悲しいわ。 ほんとに辛い。 辛くてたまらない!」
「俺はどこにも行かないよ」
 珍しく、ダニエルが真顔になって宣言した。
「親父には息子が四人もいるんだ。 お呼びはかかりそうにないし、かかっても無視する。 ずっと母さんの傍にいるから」




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