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表紙

リネットの海  64


 彼氏って……!
 いくら疲れきったリネットの頭でも、こう不審な言葉が続くと、シャキッとならざるをえなかった。
 柔らかいラディーンの体をきっぱりと押し離すと、リネットは冷たさを帯びた声で尋ねた。
「お父様のお知り合い? そんなこと、私は一言も……」
 ラディーンは澄ました表情で、ムスッとした娘を見返した。
「話すわけないでしょう。 あなたは偽名を名乗ってたのよ。 忘れた?」
 そう言えば、そうだ。 行き場を失ったリネットの怒りは、矛先をハワードに向けた。
「そして、あなたは誰? まさか、ロルフでは」
「その通りだ」
 こちらは気が咎める様子で、視線を外した。 リネットは憤然と立ち上がった。
「何ですって? あなた、ロルフ・オグデンなの? じゃ、あの犯人こそ本物のハワード氏なのね!」
「まあまあ、落ち着いて」
 甥が小さくなっているのを見て、パーシー卿が取りなしに入った。
「この子もマーカスが不意に消えたのを心配していたんだよ。 無事なら、どこよりもまず奥さんのお墓に行くだろうと思って、急いでイギリスに渡ったんだ」
「でも、なんだか屋敷の様子が変なんで、伝道者に化けてキッチンで事情を探ろうとしてたら、君がこそこそと裏口から逃げ出すのが見えて」
 リネットは固まって、ハワードを、ではなく、パーシー卿の甥と判明したロルフ・オグデンを、穴があくほど見た。
 稲妻のように、記憶が蘇ってきた。 そういえば、黒服を着た背の高い男が、確かに来ていた。 料理人のエッグおばさんに、無料だからと言って聖書を押し付けようとしていたっけ。
 リネットが再び口を開く前に、ロルフは声を落として説明した。
「カラーを後ろ前に回して、黒のソフト帽を平らに被ると、いかにも伝道者らしく見えるんだよ」
「あなた……あなたって人は!」
 口ごもりながら、リネットは額の生え際までピンク色になった。 彼は、初めからリネットの正体を知っていたのだ。 わかっていながら話を合わせて、スペインまで連れてきた。
「そりゃ、私だって偽名だったけど、あなたもなんて……許せない!」
 もはや支離滅裂なリネットだった。




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