表紙目次文頭前頁次頁
表紙

リネットの海  60


 後ろへ逃げるリネットとの距離が開いていくので、苛立ったウィルキンソンは自称ハワードに怒鳴った。
「おい、ボーっと突っ立ってないで、その小娘を連れてこい!」
 自称ハワードは動かなかった。 不快そうな様子で、低く言い返した。
「怪我をさせたら高く売れないぞ。 第一、そこまでする必要があるのか?」
「腰抜け!」
 ウィルキンソンはカッとなった。
「お前の言うことを聞いてやったから、こんなに手間がかかったんじゃないか! こっちのオヤジを力ずくで吐かせて、海に放り込めばいいものを、事故死に見せかけるためには体に傷があっちゃいけないとか何とか言って反対しやがって」
「落ち着くんだよ!」
 古物商は、腹に力を入れて怒鳴り返した。
「おまえこそどうかしてねえか。 パーシー卿の秘書なんだろう? 卿の実力をよく知ってるはずじゃなかったんか。 あんな大物の後ろ盾がついてるその男を、たやすく殺せるかどうか。 地球の果てまで追いまわされることになっても知らねえぞ!」
 リネットは、左に右に目を忙しく走らせて、悪党たちの喧嘩を観察していた。 このまま仲間割れになってしまえばいい。 撃ち合いでも始めてくれれば、もっといい!

 だが、残念なことに、ウィルキンソンはすぐ自分を取り戻した。
「わかったよ。 冷静に行こう。
 なあ、チェンバースさん。 取引だ。 この書類にサインして、船の沈没地点を教えてくれれば、娘さんの命だけは助けよう」
 だけ、というところが不気味だった。
 マーカスは再び目を押え、力なくうなずいた。
「わかった。 ペンをくれ」


 遺言書には二人の証人が必要だ。 この悪党どもは、誰の名前を書くつもりなんだろう。 父がゆっくりとサインする間、リネットは憎しみの眼差しで、ウィルキンソンの背中を睨みつけていた。
――ウィルキンソン一人なら、ここで飛びついて背後から差せる。 でも、相棒がいるから…… ――
 そこでリネットは思いついた。 二人の悪党は拳銃を持っていないようだ。 松明を一人に投げつければ、騒ぎの間にもう一人を倒せるかもしれない。
 二人はリネットから目を離していた。 チェンバースのサインに気を取られているのだ。
 今だ! リネットは小柄なカンガルーのように、壁の松明をめがけて思い切りジャンプした。




表紙 目次前頁次頁
背景:トリスの市場
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送