表紙目次文頭前頁次頁
表紙

リネットの海  58


 御者の男が歯噛みしてうなった。
「御託はいい。 このチビめ、まんまと俺をまいて、探すのに大汗かかせやがった。 後で思い知らせてやるからな」
「好きにしろ、ディンキー。 さあ、最後の仕上げだ。 入ろう」


 ドアの中は、意外にも明るかった。 壁に松明が斜めに差してあって、窓のない小さな部屋を、揺れる炎で薄気味悪く照らしていた。
 奥に狭い寝台があり、男が坐っていた。 汚れたシャツは前がはだけ、しばらく洗っていない髪は油じみて、斜めに額に垂れさがっていた。
 彼を一目見たとたん、リネットは絶叫した。
「お父様!」
 寝台の男の頭が、ぎくっと上がった。 右手が伸びて、空中をさまよった。
「リネット……!」
「おっと」
 駆け寄ろうとするリネットを無情に引き止め、ウィルキンソンは冷たく笑いながらマーカス・チェンバースに話しかけた。
「さあ、今度こそしゃべってもらおう。 さもないと、目の前で娘が死ぬことになるぞ」
 ウィルキンソンが懐から船員用のジャックナイフを出したのを見て、リネットは後ろに飛び下がろうとしてよろけ、床に尻餅をついてしまった。
 ディンキーがケラケラと笑ったが、自称ハワードは膝を曲げて、リネットを助け起こした。 両手を縛られていて、自力では立ち上がれなかったからだ。
 座った姿勢になっていたのはほんの数秒間。 しかし、手の器用なリネットにはその時間で充分だった。 靴の縁に仕込んだ細身の短剣は、いまやリネットの手の中に移っていた。 それはアントンに貰った短剣だった。 今こそ役に立てるときが来たのだ!
――出てくるとき靴を履き替えてよかった。 人数は三対一、いえ、お父様が動けるなら三対ニで、あまり勝ち目はないけれど、どんなチャンスでも逃さないようにしよう。 さあリネット、勇気を出して!――
 心の中で自分を励ましつつ、リネットはナイフを目立たないように動かして、手首を縛った縄を切り始めた。
 その間も、ウィルキンソンは冷酷に、マーカスに迫っていた。
「おい、言うんだ。 もう一隻の宝船のありかを。 大金持ちのあんたならまた探せばいいだろう。 それとも、大事な一人娘より大切なのか?」
 マーカスは縛られてはいないらしかった。 両手を上げて目をこすると、かすれた元気のない声で答えた。
「いいよ、教えてやろう。 だが、正確な位置は覚えていない。 書き留めた手帳を見ないと」
「いつでも持ってくるぜ。 どんな手帳だ?」
 ウィルキンソンは薄笑いを浮かべた。




表紙 目次前頁次頁
背景:トリスの市場
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送