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表紙

リネットの海  57


 それは、前には赤白ベストを着ていた若い男だった。 スペインへ来る船の上で一人旅の娘を探していた、あの男だ。
 やっぱり悪党の一味だったんだ、と知ったリネットは、負けずに男を睨み返した。 すると、若い男はしょっぱい顔になって、低い笑い声を上げた。
「気の強いお嬢さんだ。 泣くどころかガン飛ばしてるぜ」
「睨み合いなんかしてる場合じゃない。 彼はもう来てるのか?」
「ああ、下にいるはずだ」
「じゃ、とっとと済ませようぜ」
 何を済ませるのか。 リネットは寒気を感じたが、目に力を込めるのは忘れず、二人の悪党を油断なく交互に見張っていた。
 自称ハワードが先に立って、右手の壁にあるドアのひとつを開けた。 すると、かび臭い空気が上がってきて、地下室へ通じる階段が現れた。
 二人は、用心深くリネットを挟んで降りていった。 明るいのはランプが照らす丸い光の部分だけなので、階段を下りきるまで、何が待っているかまったく見当もつかなかった。

 階段下は、四角い踊り場のような空間になっていた。 前と左に二つドアがある。 自称ハワードが叩いたのは、前のドアだった。
 二回短く、三回長く、彼はドアをノックした。 すると、中で鍵の外れる音がして、ゆっくりと開いた。

 ドアの隙間から顔を出した男を見て、リネットはこれまでで最大の驚きを味わった。
 なんとそれは、パーシー卿の秘書ウィルキンソンだったのだ。
 昼間のやつれた様子はどこへやら、きびきびした足取りで、ウィルキンソンは階段下に出てきた。 そして、若い男の手からランプを取ると、いきなりリネットの前に差しつけた。
 リネットは思わず顔を背けた。
「こっちを見るんだ」
 手が伸びて顎を掴んだ。 むかっとして、リネットは噛みついてやろうかと一瞬思ったが、父がいるかどうかわかるまではおとなしくしていようと思い直した。
 顔立ちを確かめてから、ウィルキンソンはほっとしたように手を離した。
「そうだ、確かにチェンバースの娘だ。 やれやれ、ようやく手に入ったか」
「喜ぶのは早いぜ。 とっとと吐かせよう」
「そうだ、もう二週間も待ってるんだ」
 リネットを連れて来た二人が口を出すと、ウィルキンソンは凄い目つきになって唇を歪めた。
「落ち着け。 獲物は逃げやしない。 二百年も海の底に沈んでるんだからな」
「マラリアの発作なんて嘘だったのね」
 リネットは、ようやく声を出すことができた。 すると、ウィルキンソンはチェシャー猫のように、三日月形に口を広げて笑った。
「そうとも、おてんばさん。 あれは一人で居残る口実だったのさ」 




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