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リネットの海  52


 それでもリネットの足は、まっすぐハワードへと向かった。 彼は、父が姿を消す前に顔を寄せ合って話していたという。 もしかすると、父のいるところに案内してもらえるかもしれない。 あくまで希望的観測だが。
 ハワードの前まで来て、リネットはできるだけ自然な口調で尋ねた。
「前ここに来たことがあるのね? お父様の友達のパーシー卿が、そうおっしゃっていたわ」
 ハワードの表情がわずかに引きしまった。 目が用心深くなった。
「ああ……確かに。 船を上げていると聞いて、掘り出し物はないかと思ってね」
「そのとき、お父様に会った?」
「君のお父さんの名前は?」
 リネットはひるんだ。 そう言えば、ずっと偽名のリン・カーギルで通してきた。
「あの、ええと、マーカス・チェンバース」

「ふうん」
 ハワードは、さりげなく応じた。
「そう言えば、目元が似ている」
「それで、お父様と何の話を?」
 右の眉を吊り上げて、ハワードはためらった。
「大したことじゃない。 銀貨が出てきたら優先的に取引してくれとか、そんな話だ」
「その後、お父様はどこかへ行ってしまったの。 心当たりはない?」
「ないな」
 いやにきっぱりと、ハワードは断言した。

 がっかりして、リネットは半円形に広がったバルコニーに出て、柵を掴んで空を見上げた。
「大の大人がふっと消えて、誰も行方を知らないなんて」
 ハワードも出てきて、隣りに立った。
「大の大人だからこそだろう。 金もコネもあるチェンバースさんなら尚更、どこでも行けるし、狙われる危険も大きい」
「さらわれたんだったら」
 リネットの声が濁った。
「身代金の要求があるはずよね。 イギリスに電報で問い合わせてみるわ」
「そうだね、万が一の用心にね」
 衣擦れの音がして、肩に腕が回った。 とたんにリネットの自制心が断ち切れた。 気持ちを張って過ごしてきたこの数日間の反動が、どっと襲いかかってきて、リネットはしゃにむにハワードのすらっとした体に抱きつき、胸を額でぐいぐいと押した。
「ハワードさん、ハワードさん! お父様がいなくなったら、私、孤児になっちゃう!」




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