表紙目次文頭前頁次頁
表紙

リネットの海  51


 パーシー卿は、そのホテルの三階にリネットの部屋を取ってくれた。 港が見張らせる、ライトブルーの綺麗な部屋だったが、リネットはろくに見回しもせずに、荷物を入れるとすぐ下に降りた。 そして、フロントにラストロ村のありかを尋ねて、詳しくメモした。 できれば明日にも、馬車を雇って行ってみるつもりだった。

 夕食にはまだ間がある。 パーシー卿は、甥のロルフと打ち合わせるために外出してしまった。 ディナーには連れてくると言っていたが、正直いってリネットにはわずらわしかった。 これ以上社交的な会話なんか交わしている心の余裕はない。
――パーシー卿は親切だけれど、やはり他人事だから悠々としていられるんだわ。 もしロルフが行方不明になったのなら、目の色変えて探し回るでしょうに――
 四つか五つのときに二度ほど会っただけの少年の面影に、リネットは思い切り顔をくしゃくしゃにして、舌をベーッと出してみせた。
 そのとき、通路のバルコニーにかかった緞子のカーテンが揺れ、低い声がした。
「なに空中に喧嘩売ってるんだい?」

 リネットの足が、ぴたりと止まった。 髪の根元が逆立つような、異様なおののきが全身を這った。
 カーテンの後ろから出てきたのは、思ったとおり、ハワードだった。 彼は、地味だが上等な茶色のスーツを着て、季節にふさわしい麦藁帽を、きちんと梳きつけた黒っぽい髪に載せ、すっかり立派なダンディーに身なりを替えていた。 しかし、きらきらと時にいたずらっぽい輝きを放つ眼と、少し皮肉な色を帯びた微笑は、まったく変わらなかった。
 両手を広げて見せて、ハワードは言った。
「さあ、来たよ。 約束通り。 マドリッドのホテルを君と紳士が慌てて出発していくのを見て、後をついて同じ列車に飛び乗ったんだ。 君が騙されて連れていかれたのなら大変だから」
 騙されて連れていかれる――リネットはその言葉を、たまらない気持ちで聞いた。
――それはもしかして、あなた自身のこと? ねえ、R・O・ハワードさん、あなたは初めから私の正体を知っていて、知らん振りしてイギリスから連れてきたの?――




表紙 目次前頁次頁
背景:トリスの市場
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送