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リネットの海  41


 意外な返事に、リネットは驚いて目を上げた。 そうだよ、甘いよ、と、お説教されると予想していたのだ。
 暗がりの中で、ハワードのくっきりした白目だけがほんのりと光って見えた。
「何が正しくて何が間違いかなんて、終わってみなきゃわからない。 できるだけ周りを観察して用心するに越したことはないが、最後は運だ」
 この口調…… 覚えがある。 とても共感できる。 リネットの瞳が、思い出そうとして激しく動いた。
 そして悟った。 父だ。 父のマーカスに語り口が似ているのだ!
 ようやくリネットは悟った。 ハワードは一見、真面目で堅気そのものの紳士に見えるが、内面は父と同じ冒険家なのにちがいない。 同じように刺激を愛し、好奇心に満ちている。 そこに自分は強く引きつけられたのだと。
 息のかかる近さに顔を置いたまま、リネットは囁きかけた。
「あなたは? 運の強い人なの?」
 柔らかい呼吸音が聞こえた。
「たぶん。 いろんな意味でそう思うよ」
「その運を私にも分けてくれてるのね?」
「君は君で強運の持ち主じゃないか。 大女優に助けてもらって」
「ええ、ラディーンさんは本当にいい人よ。 でもあなたは特別。 頼もしいわ」
「特別?」
 リネットを抱えている腕に力が篭った。 ふたりの顔が徐々に近づいた。
 耳の中で血管がトクトク鳴っている。 今度こそ本当にキスされるんだ――目を閉じると、瞼が細かく震えた。 彼の腕の中に倒れかかりたい。 甘いしびれが全身を包んだ。

 強く抱き合い、唇がうっすらと触れあったとき、いきなりドアの外から呼びかけがあった。
 慇懃な支配人の声だった。
『すみません、夜中にお騒がせして。 目が醒めてしまわれましたか?』

 肺一杯に空気を吸い込むと、ハワードは怒鳴り返そうとしたが、すぐ気を変えて穏やかに答えた。
『銃声がしたようだね。 喧嘩かい?』
『いえ、ちょっとした行き違いです。 もうホテルから出しましたので、安心してお寝みください』
『わかった。 知らせてくれてありがとう』
『失礼します』
 軽い足音が遠ざかっていくのを確かめてから、ハワードはリネットを助け起こすようにして立ち上がった。
「支配人だ。 騒ぎはもう収まったそうだ。
さてと、君も帰ってもう寝なさい。 明日は六時起きだから」
 せっかくいい雰囲気になったのに。 心残りだったが、リネットは仕方なくうなずいて、小声で言い残した。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 低い声が返ってきた。




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