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表紙

リネットの海  37


 アントンが渡してくれたのは、本当に立派な短剣なので、こんな高そうな物をもらっていいのだろうかとリネットはためらった。 
 だが、当の本人はまったく気にせず、ひとつだけ使い方を注意した。
「紙を切っては駄目。 切れなくなる」
「つまり、ペーパーナイフにするなってことさ。 肉は切ってもいいが」
「もちろんそんなことしません。 紙も切らないし食事にも使わないわ。 大事にしまっておきます」
 で、結局もらうことになった。


 自分の部屋で、荷物を足元に置き、緊張して待っていると、九時を少し過ぎたころ、窓に何かが当たってピシッという音がした。
 リネットは急いで窓辺に駆けつけた。 アーチ型の窓を左右に開いて頭を出すと、下に広がる中庭に、人影が立っていた。
 おいで、と、その人影は大きく腕を振って身振りで示した。 庭園灯の淡い光で、鋭く引きしまった顔立ちが見分けられたため、リネットはすぐ戻って荷物を取り、バルコニーに出て非常階段を忍び足で下りた。

 庭は柔らかいジャスミンの花の香りで満ちていた。 ハワードはリネットから素早く荷物を受け取り、数を確かめた。
「忘れ物はないね?」
「ええ、このバッグと、このトランクとこれだけ」
「あっちに馬車を待たせてある。 人目につかないうちに急ごう」
 首をすくめるようにして、リネットはハワードの左腕に守られ、そっと庭を後にした。
 外の道に置かれていたのは、藁を半分ほど積んだ粗末な荷馬車だった。 ハワードは藁の中にリネットの荷物を埋め、地味な茶色のマントを彼女に着せて、フードを深く被らせた。 そして自分も、荷台に置いてあったよれよれの麦わら帽子に頭を押し込んだ。
「こうしておけば、農夫とかみさんか娘に見えるだろう。 さあ、座席は固いが、我慢しろよ」
「ええ」
 リネットは嫌がるどころか、面白そうに目を光らせて助手席に這い上がった。 これこそ冒険だ。 胸が興奮でわくわくした。




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