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リネットの海  25



 ダニエルはダンスの教え方がうまかった。 だが、ステップと称して巧みに体をすり寄せるのもうまくて、リネットは逃げ場を失わないように両腕を突っ張ったままでいなければならなかった。
「冷たいなあ。 もうちょっとこっちにおいでよ」
「動いていると暑いから。 ダニエルさんおでこにうっすら汗かいてるわよ」
「きれいな野の花を腕に抱いてると、胸の鼓動が速くなっちゃうんだよ」
 野の花ね…… 大輪の蘭にも似た華麗なシャンタルを横目で見て、リネットは皮肉な表情になった。 確かに美しさでも貫禄でも比べ物にならない。 勝っているのは若さと活気ぐらいかな? ああ、でもシャンタルさんは旅興行であっちこっち飛び回るエネルギーの持ち主だし。
 陽気に足幅を揃えてフロアを横切りながら、リネットはダニエルを牽制した。
「あんなにきれいなマダムと比べないでね。 憧れてるんでしょうけど」
 すると意外にも、ダニエルはちょっと顔をしかめた。
「そういうんじゃないの。 大好きだけどね、好きの意味が違う」
 どう違うの?と訊こうとしたところで、音楽が終わった。


 テーブルに戻ると、アントンがデザートのメルバを勧めてくれた。 なんだか機嫌がいい。 シャンタルも椅子にゆったり寄りかかってにこにこしていた。
「楽しかった?」
「はい、それなりに」
 リネットの答えが可笑しかったらしく、シャンタルとアントンが声を揃えて笑った。 アントンが大声で笑うのを、リネットは初めて見た。 なかなか豪快でよかった。
 ダニエルは頬をふくらませ、ポートワインをぐっとあおった後、自分も小さく噴き出した。
「なんだよ、それなりにって」
「つまり、ダンスは楽しかったけど、お相手はそれなりってことよ、ね?」
「小間使いのプリンスと言われているこの僕が?」
「リンちゃんは小間使いじゃないもの。 それに、並みの娘さんでもないわよね」
 不意にシャンタルがずばりと言った。
「あなたはいつも背筋がまっすぐ。 それに、紅茶をソーサーに移して飲んだりしないし、膝をきちんと揃えて座っていて、絶対に脚を組まない。 育ちが良すぎるのよ。 変装が下手ね」
 それまで安心してくつろいでいたリネットの頭が、一瞬真っ白になった。




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背景:トリスの市場
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